【中大兄の殺戮の先にある天皇家の安定政権】

中大兄の殺戮のうち、

蘇我倉山田麻呂事件、有間皇子事件の密告者は蘇我氏系だった。

言うまでもなく乙巳の変で中大兄は蘇我氏本宗家を滅ぼした。

この時も蘇我倉山田麻呂を味方につけている。

蘇我氏の内部分裂を利用して乙巳の変を起こし、

弱体化した蘇我氏残党を配下に入れて

次々と政敵を倒していく構図が見えてくる。

天武天皇は八色の姓を制定したが、

最上位の「真人」を側近13氏で固めて、

次位の「朝臣」に蘇我氏の血脈に近い氏族の多くを配当している。

依然として強い勢力を保つ蘇我氏を配下に従えることで、

政権の基盤を強化しようとしたのであろう。

蘇我氏とは何者かという疑問に対しては、

記・紀の武内宿禰の子孫としての記述を支持する人の他、

帰化人説などもささやかれるが、

乙巳の変までは最大勢力の一つであったことは確かだろう。

蘇我氏を配下に組み込んだ息長氏(=天皇家)が

藤原氏の協力を得て

奈良時代以降の安定的な政権を築いていくという仮説が

成立するかどうかを今後の検討課題のひとつとしたい。