【古代史学会の現状:大和朝廷一元主義】
七世紀の日本列島の政治勢力について、
旧・新唐書に倭国と日本国があったと書いているにもかかわらず、
無理解による「不体裁」と言って受け付けようとしない
古代史学会の状況が相変わらず続いている。
古田武彦氏が『失われた九州王朝』の中で
「倭国=九州王朝」論を立証してから半世紀以上経過しているのに、
未だに大和朝廷一元説しか受け入れられていないのが現状である。
第二次世界大戦が終わり、
ようやく古代史に対する考え方も束縛を受けることが少なくなった。
それでもなぜか多くの研究者の中には
「日本列島内の王朝は天皇家以外にない。」
(古田著『失われた九州王朝』第五章四結びー三つの真実(一)仮説について)
という観念が消えずに残っている。
したがって旧・新唐書に記された、
「七世紀の日本列島に倭国と日本国が存在すること」が
「不体裁」に見えて、
学会を挙げて旧・新唐書の語る史実に目を背けているかのように見える。
次のように言う研究者もいるという。
「要するに中国側は九州の豪族をながらく相手にしてきた。」
(前掲書第五章四結びー三つの真実(二)「豪族について」)
この考え方に縛られている研究者は、
記・紀成立時点の観念に縛られている、と古田氏は言う。
【大東亜共栄圏構想に向かった大和朝廷一元主義】
この観念は戦前の「八紘一宇」(注)の論理につながった、
とも古田氏は述べている。
前掲書第五章四結びー三つの真実の三番目では
「九州王朝の滅亡の原因」について言及している。
九州王朝は白村江の敗戦が原因となって滅亡したのではなく、
倭の五王以来長期間にわたって朝鮮半島内に軍事力を維持し
影響力を行使しようとし続けたことが滅亡の原因であって、
白村江の敗戦はその結果でしかないとする。
近年においては大東亜共栄圏構想で
他国を支配しようとして国家滅亡を招いたこととの共通性を
古田氏は看破している。