【「歴史」とは?】

歴史とは何だろうか。

デジタル大辞泉によると、

「人間社会が経てきた変遷・発展の経過。また、その記録。」

とある。

広い意味では、人類がたどってきた大きな流れを対象にすることになるが、

狭義では、文書に残されたことから人間の営みの推移を研究することである。

デジタル大辞泉の最後の行に、

「その記録」とあるのは、

対象領域が文書などに残された事象に限定することを示している。

【記録されたものと口承されたもの】

文字の使用開始が遅かった日本列島において、

古代史の原史料となる活動の記録があまり残されていないのは致し方ない。

文字が使用される前の時代のことは口承で伝えられたと考えられる。

日本書紀には文字のない時代のことが、

口承では伝えられにくい年月日まで記載されている。

編纂者がいろいろ苦労して推定したのだろうが、

本来「昔々あるところに」と口承された説話が、

何年何月のどこどこでと限定された形で記されていることになる。

日本書紀の記述は信用できないということは昔からよく言われるが、

こんなことが影響しているのだろう。

【史実として認定できる基準とは】

記・紀に記されたことを「史実」と認定するためには

何らかの証拠が必要となる。

千年以上の年月が経過した後に今さら証拠などそうそうあるものではない。

古田武彦氏は、

相互に影響しあうことがない二つ以上の史料の中に、

全く同様なことが記されていれば「史実」と見てよいのではないか、

と述べている。

一つの事象に対して無関係の二人が

全く同じ虚偽のことを述べるはずがないということである。

またお隣の中国は世界でもまれなほど記録が多く残されているという。

弥生時代になると日本列島の国との交渉も記録されるようになる。

中国を訪れた日本列島からの使者や日本列島を訪れた人の報告をもとに

「倭国伝」が記されており、客観的な記述で信頼性が高いと言われる。

分量は多くないが意図的に記された可能性が高い記・紀などより

史実性が高いといわれる。

【史料としての信頼性】

記・紀の記述が史料として質・量ともに物足りなさが残る中で、

金石文や木簡がもつ意味合いは大きい。

記・紀の内容と金石文・木簡の記述が整合していなければ、

後者の史実性が高いと考えるのが順当である。

為政者にとって都合よく記されたものよりも、

埋められたり捨てられたりしたものが偶然発見されたものの方が

信頼できるのは言うまでもない。

【史実の解明:判断よりも根拠】

残された史料が少ない日本古代史において、

正史の史料批判は容易ではない。

とくに7世紀までの日本古代史は、

記・紀の史料批判を正確に行うことによって

研究が成立するといっても過言ではない。

記・紀自体を分析することによって矛盾点を正していくことや、

漢籍に照らして検討を加えることで史実に近づく努力が行われている。

その中で史実を導く根拠を提示することは容易ではない。

だれもが納得することができる根拠をひとつひとつ明確にして

普遍的な基準とする作業が求められる、と思う。

 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお付き合いください。