特別講演

岩井敏明氏 『日本書紀』より見たる古代ヤマト王権の成立と発展③

【若井氏のまとめ】

若井氏は講演を「その他『日本書紀』から見えてくるもの」でまとめた。

 

・ヤマト王権の政治機構 部民制、国造・県主制、屯倉制

・ヤマト王権の対外政策 「任那」問題、半島出兵

・大王継承の際の内紛  とくに仁徳天皇以後

 

政治体制と外交問題及び皇位継承が

日本書紀の記述から見えてくるものとした。

さらに日本書紀の記述に対する姿勢として、

日本書紀編纂時(8世紀初頭)の現政権に関係が深い

壬申の乱、大化改新は当時の現代史であるので

むしろ疑ってかかったほうが良い。

日本書紀は現政権に都合の悪いことは書かないと述べた。

また考古学については、

考古学者たちは日本書紀の記述をなぞっていることが多いと批判した。

箸墓古墳の年代設定や纏向遺跡の解釈を

恣意的に行っていることに対する否定的な見解を述べた。

【講演後の質疑】

〈質問〉日本書紀は7世紀後半の「評」を「郡」と書き直し、

     政治的に「評」を劃しているのではないか?

〈回答〉日本書紀編纂者は用語の使い方として、

     後世の使い方をそのまま使ったと思われる。

     和訓「こおり」に「郡」を当てたのだろう。

〈質問〉「県主」が欠史八代に出てくるのはおかしいのではないか?

〈回答〉原初的なものと制度的に作られたものは違う。

〈質問〉日本書紀の景行天皇の九州親征説話が古事記にないのはなぜか?

〈回答〉地方の記述に関しては古事記よりも日本書紀の方が優れている。

     古事記は天武主導で作られ、

     日本書紀は舎人親王と不比等が中心になって作った。

     日本書紀の方がもとになる史料が多く集まっていた。

     古事記の大国主命と須勢理毘売の説話(「根の国訪問」)は、

     天武と持統の壬申の乱の夫婦の協力関係をモデルに造作されたもの。