【崇拝対象と奉納物】
日本古代における崇拝対象は、
神武以降舞台が地上に限定された後は、
太陽女神、
イザサワケ神、
石上の神剣、
尊い小人神、
美和の大神、
葛城の大神、
スミの三水神
が信仰される神々として出現している。
仲哀記・神功皇后の段に太陽女神とスミの三水神が一緒に現れる以外は
他の五神は単独に現れていることを
チェンバレンは指摘している。
それらの神に対する宗教儀式については古事記には記されていない。
「神々への鎮魂の奉納物が種々雑多な物であった」
としたうえで、
「その奉納の仕方は、たいへん自然であった。
つまり、人々は自分が最も大切にしている物を捧げたのだ。」
とチェンバレンは断定している。
【考察】
チェンバレンが記している神に捧げた「最も大切にしている物」とは、
剣、鏡、玉など三種の神器につながるのかもしれないが、
ヤマトタケ東伐における弟橘比売のように
命を捧げることにつながっていく。
世界中の原始宗教で「生贄」が存在するように、
体系化された宗教が存在しない日本古代では
究極な捧げものは「人命」になってしまう。