古事記には天皇が即位したときに
象徴としての神器を授受される記述は見当たらない。
三種の神器のうち、神代記以降「タマ」は頻繁に登場している。
はじめは首飾りなどに使われるアクセサリーとしての「タマ」、
それが発展して人名や地名に使われるようになったと考えられる。
使用される漢字も「珠」、「玉」、「璁」、「璵」、「陀麻、多麻」など、
使用範囲の拡大と共に文字も変化している。
使用される漢字ごとに整理してみると次のようになる。
【「珠」】
〈序〉:懸鏡吐珠而百王相續
〈天照大神と須佐之男命〉:八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠
〈海幸彦と山幸彦〉:出鹽盈珠而溺、若其愁請者、出鹽乾珠而活、如此令惚苦。
〈応神記〉:天之日矛持渡來物者、玉津寶云而、珠二貫・・・
〈反正記〉:御齒長一寸廣二分、上下等齊、既如貫珠
考察:「珠」は全て実際に装身具や呪術の道具など、
使われるもの自体をあらわしている。
【「玉」】
〈伊邪那岐命と伊邪那美命〉:御頸珠之玉緖母由良邇
〈天之岩屋戸〉:玉祖命 布刀玉命
於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉
宇都志國玉神
〈大国主神〉:宇都志國玉神 前玉比賣 活玉前玉比賣神
〈葦原中國の平定〉天津國玉神 櫛八玉神
〈邇邇藝命〉:布刀玉命 玉祖命 玉祖連
〈海幸彦と山幸彦〉:豊玉毘賣 持玉器將酌水之時 玉依毘賣
〈神武記〉師木津日子玉手見命 御陵在玉手岡上
〈孝元記〉河內青玉 玉手臣
〈崇神記〉活玉依毘賣
〈垂仁記〉師木玉垣宮
(沙本毘古王の反逆)握其御手者、玉緖且絶、 作玉人 玉作
〈景行記〉(ヤマトタケル薨去)玉倉部之淸泉
〈仲哀記〉末羅縣之玉嶋里
〈応神記〉玉郎女
是女人自其晝寢時妊身生赤玉
天之日矛持渡來物者、玉津寶云
〈仁徳記〉女鳥王所纒御手之玉釧而與己妻
〈安康記〉爲其妹之禮物令持押木之玉縵而貢獻。
〈継体記〉伊波禮之玉穗宮
〈欽明記、敏達記〉沼名倉太玉敷命
考察:「玉」の字はもっとも多く使用されている。
「タマ」自体をあらわしていることもあるが、
多くは人名や地名・宮名として使われている。
「タマ」のもつ運気の良さやありがたみが広く好まれたために
名前に取り込まれたものであろう。
【璁】
〈天照大神と須佐之男命〉八尺勾璁(まがたま)之五百津之美須麻流之珠
〈邇邇藝命〉八尺勾璁
【璵】
〈海幸彦・山幸彦〉御頸之璵
考察:「璁」も「璵」も「珠」の代用として使われたのか、
意味は同様であると思われる。
日本書紀では人名などにも多く使われている「瓊」が
古事記では全く使用されていないのは
それぞれが用いた原史料の違いによるものであろうか。
【陀麻、多麻】
〈海幸彦・山幸彦〉阿加陀麻(赤玉)波 袁佐閇比迦禮杼
斯良多麻(白玉)能 岐美何余曾比斯
考察:古事記の歌謡に用いられている音読みによる仮名的な用い方である。