【岡田英弘「倭国の時代」(2009年、ちくま文庫)から ③】
・・・ 実に恐ろしきは女の執念:持統・元明・元正三代の女帝の努力 ・・・
日本書紀が正当化しようとした7項目(昨日記載)の説明に入る前に
目前の現実の問題を取り上げてみる。
日本書紀を編纂していた頃の現実政治とはどうだったか。
天皇名
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生没年
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在位
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天武天皇
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631~686
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673~686
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持統天皇(女性)
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645~703
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690~697
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文武天皇
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683~707
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697~707
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元明天皇(女性)
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661~721
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707~715
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元正天皇(女性)
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680~748
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715~724
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聖武天皇
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701~756
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724~749
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天武帝崩御後、持統帝は我が子草壁皇子への皇位継承を果たすために
自ら即位し、同母姉大田皇女の息子で有力な皇位継承候補で
高い能力を持っていた大津皇子を謀反の嫌疑で抹殺してしまう。
しかし、皇位を継承するはずの草壁皇子が早逝した為、
自らの血筋を皇位に残すためには
孫の軽王子(草壁皇子の子、文武帝)が成長するまで待たねばならなかった。
軽王子が14歳の時に、持統帝は異例の譲位を行い、文武帝が即位する。
文武帝も早逝した為、今度は文武帝の母親の元明帝が即位する。
苦しい継投ではあるが元明帝はあの天智帝の娘なので一応は有資格者。
元明帝は次に娘に譲位する。元正帝である。
元正帝は皇后でもなければ、天皇の子でもない。(父は草壁皇子)
持統帝は草壁皇子に先立たれたために孫の成長を待ち、
文武帝に譲位し、
元明帝は文武帝に先立たれたために自ら即位し
さらに孫の聖武帝を即位させるための時間稼ぎで
娘の元正帝に譲位する。
そして720年「日本書紀」が元正帝に奉じられた4年後に
ようやく聖武帝が即位することになる。
持統帝以来、苦しい世継ぎの事情の中で
三人の女帝が皇位が他家に移らないように執念の努力を重ねたが、
その背後に藤原鎌足の子不比等が台頭してきており、
聖武帝即位の時には外戚となった藤原氏が実権を握っていた。
(To be continued)