年末となりました。
年に1回の自分の備忘録としてのブログとなっています。
山口から東京に出て6年目。
当時1年生だった子どもたちが6年生になっています。
教育実践としては一巡した感じでしょうか。
この年になって、というか、この年だからこその苦労が様々あります。
では、10大ニュースに入りましょうか。
10位は、広報誌「ふれあい」の写真入選です。
表紙写真の募集に応じまして、めでたく春の富士山の写真を採用してもらえました。
これで、他の広報誌と合わせて3冠となりました。
来年はどうでしょうか?
9位は、これも昨年に続き、板橋の教育実践講座の講師としてお話をさせてもらいました。
それなりにステップアップしているように思いますが、別の機会にお話しした学級実践についてのお話は気合が入りすぎて上滑りしてしまいました。
まあ、それはそれ。ゆったりと行きたいと思っています。
8位は、山口の実家の掃除と片付け、そして家電購入であります。
トイレの調子が悪くなったので、便器をごっそり入れ替えました。
洗濯機の調子も悪くなったので、買いなおしました。
けっこう金がかかったな!
7位は、10月にコロナに感染したことでしょうか。
直前にワクチンを打ったのに、感染しちゃいました。
症状は軽かったのですが、1週間休むことに…。
職場のみなさんに感謝です。
6位は、10月のプチ旅行です。
かみさんが上京してきて、レノファの大宮戦を観戦し、そのあと息子のところへ行きました。
残念ながらレノファは負けましたが、かろうじてJ2残留で、ホッとしました。
5位は、やはり浜田省吾のライブです。
今年は大掛かりなツアーが始まり、横浜アリーナに行きました。
ど真ん中のかなり前のほうの席で興奮でした。
今回は、初期の作品中心のツアーということで、青春を過ごしたころのことを思い出しつつ、大きな声で一緒に歌いました。
いまの時代を覆う閉塞感や、戦争の事実に、浜田省吾の歌がぴったりと重なることに大きな感慨を持ちました。
渚園のライブ映画もしっかりと楽しみました。
4位は、夏の北海道旅です。
1週間以上も滞在し、すべて車中泊で堪能しました。
今回は、廃線となった鉄道の遺跡をめぐったり、エゾリスを丹念に追いかけたりと、マニアックな撮影旅となりました。
3位は、自作曲をいろいろな人に歌ってもらったことです。
古くからの友人がある選挙に出るということで、宣伝のためのオリジナル曲を作ってくれないかと依頼されました。
夕方に連絡が来て、モチーフを練り、その日には詞と曲が出来上がり、翌日の朝には録音して完成させました。
我ながら見事です。
曲も軽やかで親しみやすいものになり、候補者としての名前も何度も繰り返すものにしました。
かなり歌ってもらっているようです。
もう一つ、日本母親大会で、「父と母のものがたり」が演奏されました。
この曲はもう30年以上前に作った曲ですが、米軍に秋吉台を爆撃場として接収されそうになった時、多くの県民の反対でそれを阻止したことを歌にしたものです。
これもある友人がこの曲を中心にして、山口の平和の運動を紹介するステージを作ってくれました。
多くの方が歌い聞いてくれて、本当にうれしく感じました。
歌はやはり広がって歌ってくれていのちが吹き込まれるのだなあと感じました。
2位は、ペットのラッピーが亡くなったことです。
2007年から飼いはじめたので、16年も生きていてくれたことになります。
もともとは、犬が飼いたいという子どもたちの要望に応えて、動物愛護センターで見つけ、くじを経て我が家に来てくれました。
ラッピーというのは、ラブ&ピースを略したものです。
柴系なのですが、メスでエレガントな雰囲気を持っていました。
田舎なので、外飼いでしたが、病気もほとんどせず、元気に家族を励ましてくれていました。
今年の夏も暑かった
おそらくその暑さにもまいったのでしょう。
7月のある日、亡くなったところをかみさんが発見しました。
近所の方の手伝いもあって、その日のうちに友人がやっているペット専門の火葬機で弔いがすみました。
わたしは東京だったので、思いを十分届けることができませんでしたが、息子は帰郷し、かみさん、娘とともに想いをささげることができました。
合掌です!
さあ、1位は、息子が入籍したことです。
いまは茨城に住んでいますが、いい方と巡り合い、仕事にもがんばっている様子です。
5月にかみさんと娘が上京してきて、一緒に茨城にあいさつに行きました。
先方のご両親も交え、楽しく食事をしました。
息子もそれなりにきちんと挨拶をすることができました。
親の目からは、まだまだ頼りなく見えますが、いつの時代もそのようなものなのでしょう。
その後、9月に入籍しました。
これからも夫婦で幸せになってほしいと心から願っています。