運動会の学年練習から
ずっと不安定な状態が続いている、ゆうくん。
何かをきっかけに
大きなパニックを起こしそうで
学校やデイに行かせるのも怖いぐらい...。
そんな姿を見ていると
余計に私もいろいろ考えてしまい
どんどんハマっていく...💦
何か起きるたびに感じる、
〝居場所がなくなっていく感覚〟
〝さらに自分にのしかかる責任と重圧〟
〝将来に対する不安〟
は このような子を育てたことがある方には
深く理解してもらえるはず...💧
頭を深く下げ
〝すみません〟〝申し訳ありません〟
〝よろしくお願いします〟って
今まで 何度繰り返して来ただろう...。
そうやって必死に 
居場所を守って来たんだろうな。
そして同時に
この子が生きていくことは
他の人からしたら 
そんなに迷惑なことなの?と思う時もあった。
母から言われる、
〝ゆうくんは何も悪くない〟
という言葉にも 
私が そう産んでしまったからだよね、と
逆に傷つき 責任を感じ。
ずっとそんな事を繰り返して来たし
これからも続いていくんだよね。
ゆうくんが穏やかに過ごせるように、って
そればかり考え 願って来たけど
そう思うように 簡単にはいかない...。
〝小学校高学年になったら落ち着いてくるよ〟
なんて言葉も うちには通用しなかった。
頑張れば頑張るだけ 
報われない気持ちになって ツラくなったり
そんな自分の、
親としての未熟さに苦しんだり。
やっぱり障がいのある子を育てていくのは
大変なことだと思う。
みんなそれを受け止めながら頑張ってる。
受け止めようとしながら頑張ってる。
もちろんツラいことばかりじゃなく
成長がゆっくりだからこそ
そのわずかな成長も 感動的に喜べる。
〝繋がった時〟の
パズルのピースがカチッと噛み合ったような、
スッキリとした感覚は 本当に気持ちがいい。
そういう事を1つ1つ積み重ねて
時々 逆戻りもしながら
一歩一歩 前に進んでいく。
どれだけ その感動や喜びを大切に拾って
原動力に変えていくか。
根気と忍耐が必要だと思う。
でもこれは 特性やその現れ方によって...、
という部分が大きいから
障がいがある子みんな、という訳でもなくて。
それぞれ課題は違うけど
親が必死に向き合っているのは確か。
迷い、葛藤しながら
前に進むしかないんだよね。
ゆうくんの居場所となる、
奇跡的な出会いを信じて...。