わたしのこと①(子どもの頃) | ラクに楽しく生きると愛され妻になる♡旦那さまは嫁オタク♡【エリージアム】

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愛され妻になる一歩は、自分が自分を大切にすることから始めましょ。

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こころの楽園エリージアム〈全肯定・心屋〉

認定カウンセラーしのぶ(しのちゃん)です。

 

 

わたしがどんな経験をしてきたのか

少しずつ書いていきますね。

 

よかったら、お付き合いください。

 

 

~子どもの頃~

 

両親、私、弟の4人家族。

 

父は会社員で

毎日夜遅くまで仕事

休みの日も仕事に行くような父でした。

 

母は長いこと内職してて

私が小学校高学年から

パートに行くようになりました。

 

両親は昭和の価値観なのか、

男尊女卑の考えが残ってて

男の方が偉いというのが強かった。

 

名前(苗字)を残していくために男の子がいる

 

女は常に3歩下がって歩くもの

 

旦那さんが帰ったら

三つ指立てて迎えること

 

こんな感じで

男の方が偉いんだ、

女は尽くすもの、

と刷り込みされました。

 

 

 

私は3歳下の弟が生まれてから

『お姉ちゃんでいること』

を求められるようになっていました。

 

 

兄弟ケンカしても

お姉ちゃんでしょ!

ガマンしなさい!

 

 

美味しいオヤツも

お姉ちゃんでしょ!

弟にあげなさい!

 

 

テレビのチャンネル争いも

お姉ちゃんだからガマンしなさい!

 

 

何かというと

お姉ちゃんでしょ!

と言われていました。

 

 

弟ばっかりずるい!!

 

そう言い返して

自分の部屋に閉じこもることが

何度もありました。

 

 

あまりにも腹が立った時

〇〇(弟の名前)はバツです

と柱に黒マジックで書いたこともあります。

 

こんなことしてるのに、何も言われなかったのよ。

 

 

お姉ちゃんでしょ!

は、母からしょっちゅう言われてた。

 

けど、普段は何も言わない母。

 

うるさく言うのは、

お姉ちゃんでしょ!

だけ。

 

それ以外は、

うるさく言われた記憶がない。

 

言われないから

私のことはどうでもいいんだ。

 

男の子じゃないから、

いらない子だから、

何も言ってくれないんだ。

 

そんなふうに拗ねて

だんだん自分の部屋にいる時間が

増えていきました。

 

 

本当は・・・

お母さん、私の方も見てよ

私の話を聞いて

私のことも大事にしてよ

 

そう言いたかったのに、

拗ねることしかできなかった。

 

そんな子ども時代でした。

 

 

続きは↓

わたしのこと②(中学生の頃)

 

 

 

読んでくれて、ありがとう。

 

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