「ザ・スフィンクス」について(2004年) | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES

 今回の8枚目のアルバム「ザ・スフィンクス」でノーナ・リーヴスは、トライエム/メルダックに移籍しました。95年の結成以降、インディー時代の2枚のアルバム発表を経てワーナー、コロムビアから今回のメルダックということで、ともかく激動だったわけですが、出来上がってみて思うのは制作という面では今回が一番面白かったし、大変だったけれども、ナチュラルだったということです。
 そこには、レコーディング技術の進歩で、数年前までは考えられなかったクオリティのレコーディングが、コンピュータで可能になったという世の中の動きが大きく影響しています。同時代のほかの多くのバンドもそうだと思うのですが、ぼくらも例にもれず自分達の手作りのスタジオと、今まで使ってきたプロユースの巨大なスタジオとのコンビネーションで今回のアルバムを作り上げました。

 アルバムを作る前に強く思っていたことは、「今回はミュージシャンとしての理想をただただ追い求める」ということでした。格闘技でいえば、プロレスのようなエンターテイメントではなく、オリンピックのレスリングで金メダルを狙うみたいな感覚。それは、今までぼく自身がノーナ・リーヴスのチャーム・ポイントと自覚していた「サーヴィス精神」とは、まったく逆のベクトルです。試合中に「この場面で相手に一回くらい蹴られて、それからロープに走っていってラリアットして勝った方が盛り上がるなー」とか、考えるのをやめる・笑。もっと言えば試合後の「いーち!にー!さーーん!ダーッ!」とか、「ハッスル!ハッスル!」とか・笑、そういうのを出来るだけ減らす。今までは、そこが大事やねん!と思っていたし、今もめちゃくちゃ大事だと思ってるんですが、8枚目のアルバム「ザ・スフィンクス」では、ストイックに強さのみ、完成度のみを求めるべきなんじゃないか、と考えたのです。
 ポップなのか、ロックなのか、ソウルなのか、歌謡なのか、世界なのか、ジャンルはわからないけれど、「ノーナ・リーヴスでしか鳴らせない無敵の音楽」が鳴らせれば、それだけでいい、と。今までのぼくやノーナを知っている人であれば「えっ?」と思うくらい、ともかく自分達のためだけにまず音楽を作ってみたい、と思ったんですね。

 音楽家には2種類あるという話を聞いたことがあります。それは、「作品を誰かに発表しなくても、己の為に作り、歌ったりすることで満足できる」という人と、「この曲を聴いたら、あの人は喜ぶだろうなあ」とか「びっくりしてほしい」など考えながら「相手とのコミュニケーションとして音楽を作る」人だそうです。その説が正しいのであれば、ぼくは圧倒的に後者です。
 人に聴いてほしいし、喜んだり、泣いたり、一緒に歌ったり踊ったりしてほしい。ただし、今まで、特にプロになってからはそこをずっと考えていたけれど、今回はあえてそこを抜こう、と思ったんです。もしかして面白くないかもしれないけど、ただひたすらに強いおれを、ノーナを見てほしい。全盛期のヒクソン・グレイシーがゴングの数秒後の絞め技で試合を決めたみたいに、見る側はあっという間でつまらなくても、逆にその圧倒的な凄みでびびらせて記憶に残るような、そんな音楽を作りたい、と。そう考えたのです。

 とかなんとか言っても聴いてもらえばわかりますが、結果的には今までの作品群の中でも本当の意味で「開いた」作品になっていると思います。特に「愛の太陽」、「リズムナイト」、「重ねた唇」なんかに顕著ですが、これだけキャッチーでストレート、なおかつ楽しくなってくるものはノーナの歴史でもそんなにありません。言葉も、今まで以上に「強く」、「しなやか」です。基本的にリズムは小松、その他の演奏のほとんどを奥田、歌のほとんどは西寺という、ノーナ3人で作り上げた音像を、エンジニアの上野健也氏がまとめるという、4人だけで世界を構築しました。
 そして、いくつかの曲で、本当に尊敬するミュージシャンのサポートを受けましたが、全てが普段のぼくらの生活から溢れてきた、バランスの中で生まれています。それが、最初に触れた「ナチュラルな感覚」とでもいうべきものなのでしょう。
 なんというか、自分で畑を耕し、太陽の下で働き、だんだん実ってきた作物を、家族や仲間と収穫し食べるような、人間が本来持っている「幸せ」(?)とでも呼ぶのか、そんな最高の感覚が「音楽」をつくることで得られたんですね。「芸術」という言葉よりも、もっともっと根源的な「何か」に触れた気がしたんです。

 「ザ・スフィンクス」というタイトルを思いついたのは、今年の2月頃でしたが、だんだんアルバムの曲が揃っていくうちに「太陽」や「とてつもなく大きい自然、宇宙、運命」みたいな、ある種宗教的なテーマの曲が増えていきました。個人的にぼくは父親が先祖代々お寺の家系、母親が琉球地方の沖縄文化の家系です。もしかすると、そういった先祖の無意識の働きかけがあったのか・笑、それはわかりませんが、ともかく求めたのは精神の平和とダンサブルな音楽。自分よりも何か大きなものの存在を知り、与えられた役割を果たす、まるで仏像を一心不乱に彫る修行僧のような、かなり殊勝な気持ちでこのアルバムに向かう毎日でした。その突然の宗教心は一瞬、自分が景山民夫さんかと錯覚するくらいでした・笑。

 バンドとして考えると、ドラマー小松は堂島孝平くんの無数のライヴやメロウヘッドなどで、ギターの奥田はm-floや元シンバルズのヴォーカリスト土岐麻子さんのサポートなどでほんとに忙しかったです。ぼくもラーメンズの舞台や、スピードワゴンの曲作りや打ち合わせ、共演したBOOさんとの連携など、ともかくばたばたしていました。その中で各自フィードバックしてきた刺激が、またアルバムを濃く、深くしていきました。メンバーがほかの場面で活躍するのを冷静に見ると、それぞれの特性がよりわかります。アルバムでも、奥田作曲の「涙をふいて」、小松の「裸足の砦」などそれぞれの魅力がスパッ!と聴けますし、その他共作も多い。今までである意味一番バンドらしいアルバムかも知れません。ただ、今まで一番多くの曲を作ってきたぼくも「重ねた唇」などでは思い切り自分の世界を築けましたし、個人的には先ほど書いたようにまさに「真剣勝負」でほかの誰かを考えず、ドップリと曲の世界に沈めました。つまり「バンドらしさ」とひとりひとりの「個人としての理想の追求」がうまいバランスで成り立っているんですね。そこが「ザ・スフィンクス」の奇跡的なところです。

 このアルバムのジャケットはニイルセンという天才美術家です。元々はラーメンズの小林くん、片桐くんの同じ美大の仲間だったそうですが、小林くんがプロデュースし、ぼくが音楽監督をつとめた「ペーパーランナー」で美術を担当していた彼と出会い、ぼくは心酔してしまったのです。とんでもない才能で、このジャケットワークは、普段はどんな絵でも彫刻でもパパッとものの数分で完成させてしまう彼が、2週間ほぼ徹夜で描いてくれた、驚くほど手間のかかった逸品です。元々のモチーフはプリンスの「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」からインスパイアされたんですが、ニイルセンが「ブリューゲルを意識して、ともかく執念で描きこむ世界を作りたいんだ」と言ってくれて、この架空の都市「クリスタル・シティ」が出来上がりました。見ているだけでかなり遊べます。

 さて、今、この時代。いいことも悪いこともたくさんある。もしかしたら、悪いことの方が多いかもしれない。楽しいことも沢山あるし、つまらないもの、ひどいもの、思わず吐きたくなるくらい、粗悪なものも溢れている。音楽を巡る状況、ミュージシャンを包む環境も普通に考えれば厳しい時代です。ただし、この広い世界の中で生まれては消えてゆく、あらゆるもの、出来事、情報や、経験の中で、ぼくにとってやっぱり一番素敵なのは、最高の音楽を作り、歌い、仲間とみんなで協力して完成させ、リスナーとその感動を分かち合い、踊ったり、口ずさんだり、思い出したり、そうやって毎日を音楽とともに過ごして生きてゆくことなんです。

 メンバー全員30歳を越えて、8枚目にようやくこの「ザ・スフィンクス」が生まれたことが、嬉しい。この作品は僕ら3人の頭上をパーッと越えていって、歴史に確実に刻まれると思う。
 「ザ・スフィンクス」は、今後のぼくらをどんどんまた新しい未来に連れて行ってくれると、確信している。そして、聴いたみんなの暮らしもちょっとでも、(いや思いっきり)ハッピーでメロウなものへと彩っていくと信じている。

 ぼくが子供のころから、今に至るまで、沢山のアーティストから色々教えてもらったように、このアルバムにはぼくらノーナ・リーヴスが辿りついて見つけた、とんでもなく甘美なメッセージが詰まっている。それを大声で、高らかに叫べるのが、本当に嬉しいのです。

09/04/2004
西寺郷太