"小林賢太郎君がパスして、竹原功記君に繋いだ"奇跡(前編)。 | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES

 今回の、「20世紀のノーナ・リーヴス」企画。

 初期6枚のアルバム(1枚は僕の初プロデュース作「SPOOCHY」)の紙ジャケット、リマスター、ボーナストラック付きの「決定版」を再リリースする、という目標で数年前から進んできました。

 ノーナはメジャー・デビュー前の、96年12月と97年8月に吉祥寺発信のインディーズ・レーベル、「アンダーフラワー」から二枚CD「サイドカー」「クイックリー」を出しています。





 「アンダーフラワー」は、僕が下北沢のライヴハウスに通うようになった95年春頃、東京を代表するインディー・ロック・レーベルとして一定の存在感を放ち、当時のトレンドだった「ギター・バンド」が沢山在籍していました。

 そのレーベルから、曽我部恵一さん率いるサニーデイ・サービスの作品をリリースする際、少しメロウでポップな、いわゆる「渋谷系」的な資質を持つアーティストの受け皿として「ジャイアント・ロボット」というセクションが新たに作られました。
 サニーデイは、すぐにミディに移籍されたのですが、96年にぼくらノーナが「サイドカー」をリリースする時、「ノーナは『ジャイアント・ロボット』だね」ということになりました。ここから、僕の初プロデュース作で、女の子三人組の「SPOOCHY」もリリースすることになります。



 ちなみに、このジャイアント・ロボット(アンダーフラワー)期のノーナとスプーチー、計三枚は、10年前の2004年、僕、西寺郷太が版権をすべて買い戻しました。なので、現在権利は僕が持っています。

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(1)テラちゃんの情熱

 さて、その「元」ジャイアント・ロボットの三枚と、メジャー・デビュー後のワーナーの三枚、計6枚を改めてリリースしたい、と90年代中期からの仲間で、強烈なノーナ・フリークの寺村君(以下テラちゃん)から申し出があったのが、多分2年くらい前だったと思います。

 彼は現在、再発を得意とする老舗レーベル、ヴィヴィッド・サウンドで制作を務めています。

「今、基本廃盤やしなー。自分の版権持ってる分はもちろん大丈夫やけど、全部すっきりリリースしたいよなー。そんなことが出来たら、最高やなー」などと僕が言っていると、「色々動いてみるよ」と、テラちゃん。

 ま、プロというものはこう言う場合、過度な期待はしないものです。正直、僕は忘れていました。

 すると、数週間後「郷太君!!ワーナーから、こころよく許可がもらえた!」と、テラちゃんが嬉しそうに電話してきました。

 で、そこから納得出来るものにしようともろもろ頑張っていたのですが、最初にリリースされる「ワーナー期三枚」が完成するかしないかの時に、テラちゃんからアイディアが出てきました。

「郷太君さー、BOXつくらない?特典で」

「いいねー!まじでーーーー!!!ちゅうか、何、このちゃんとした再発ーーっ!俺の大好きなビートルズとか、ナイアガラみたいやんーーーーー!」

 僕はこの時、大喜びでしたが、心の奥で「BOXのデザインどうしよっかなー」と思ってました。

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(2)土橋さんの凄腕

 再発を仕切ったのはテラちゃんと、フライハイ・レコードの土橋一夫さんです。

 この土橋さんは「異常」なレコード・フリーク、音楽ライター、ディレクター、プロデューサー。要は好きなポップスへの執念に満ちた音楽人です。ノーナも最初期からインタビューなどでお世話になってきました。土橋さんはパッケージへのこだわりを持つデザイナーでもあり、フィル・スペクター関連もはじめ、多数の再発リイシューを成功させてきています。百人力とはこのことでした。

 土橋さんのポリシーは、例えばアナログ・レコードの再発売の場合、バランスや帯なども含め「当時のまま」フォントなどもすべて解析し、CDサイズで完全復元する、というもの。ただし、例えば権利関係や、ボーナストラックなどで文字がそのまま使えない場合もあります。その時も、「え?」っというくらいそっくりそのまま文字だけマジシャンのように打ち直して入れる、という、神業というか、もう「狂気」すれすれのフェチズムで「当時のまま」の意味を大切にする美学の持ち主でした。

 それが僕は「いいなー」と思っていたのです。

 テラちゃんがアイディアを出してくれた「20世紀のノーナ・リーヴス」のBOXは、当然作りたい。でも、今の、2013年(当時)の気分で過去の空気までも「デザイン」するのは、何か嫌でした。当時の気持ちを真空パックしたようなBOXでありたい。

 6枚のアルバムがありますから、よく海外のバンドだと、小さい枠組みで6つのアルバムを並べた安易なデザインの「とりあえず入ります」的なBOXもありますが、それは嫌でした。何か、その装丁で6枚を包む「理由」が欲しかったんです。

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(3)賢太郎の誘惑

 そんな風に感じていた時、2013年の3月18日のこと。

 同い年の友人、小林賢太郎君から誘いのメールがありました。

「郷太、飲まない?」

 コント作家で舞台俳優でもある、多忙な賢太郎。彼も僕も〆切などで「集中」出来る期間と、「緩める」モードが不規則なので、気が向いた時にお互いをふとメールで誘って、駄目なら「忙しいわー」「そっかそっかー」と、軽く断ったり、断られたりということ繰り返しているのですが、その時の僕はタイミング良かったので「いいよー。飲もうー。ちょっと待っててー」と返事をして、指定された店に行きました。

 今、振り返れば、この夜の賢太郎の「誘惑」こそが、今回のパーフェクトなリリースに至る奇跡を呼んだ最大のポイントでした。

(続く)