「空気を読む」の誤解と誤用 | 野波ツナブログ

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どうぞよろしくお願いします。

「空気を読む」
-その場の雰囲気から状況を推察する。特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する。
(デジタル大辞泉より)

「場を読む/空気を読む
-自分勝手に盛り上がったりせず、その場の雰囲気に合った行動をとること。
(とっさの日本語便利帳より)



「空気を読む」という言葉について
自分が思っている意味と、他人が思っている意味が違うかもしれないぞ、
と気付いたのはわりと最近のこと。(ここ3~4年くらい)

私が思う「空気を読む」は、
その場にいる人たちの表情や話しぶりから、
今どういう方向に話題が進んでいるか・どういう感情を共有しているのか
…というのを察すること。
不用意に誰かの気持ちを不愉快にさせない、ということ。

上に引用したものとだいたい同じかな。



たとえば、の話。
ある場で「重い病気になってしまった」という報告をした人がいるとして。

かんじんなのは、その人を含めた「場の人たち」が不愉快にならないように会話をすすめることだと思う。

そんな場面で 「似たような病気で亡くなった知人の話」をするのは
いくら「参考になると思ったから」っていっても、
相手が平気そうな顔で聞いているからといっても、
「空気が読めない」行為。

「どんな病気?治療法は?」とくわしく聞く事が良いのか悪いのかは
相手の表情や口ぶりから察することができる。
言いたくなさそう(口ごもるなど)なのに、答えてくれるからといって根掘り葉掘り聞くのも「空気が読めない」行為。

じゃあ空気を読んでどんな風に話をすればいいのか?というと、
それは「その場の空気で」としか言いようがないから困る。

「その場の空気」は、いろんな要素がかかわってできるものだから。

要素1:この「場」がどんな集まりなのか?
 テーマがある集まりなのか、ただなんとなく喋る集まりなのか?
   テーマがある集まり(何かの記念や、誰かのために開いた会など)ならば、一人の病気の話題を引っ張るのはふさわしくない。
  (また、誰かのお祝いの場だとしたら、病気の話を出した人が空気を読んでないことになる)

要素2:「その人」と自分と他の人たちの関係
 友人関係、親戚関係、仕事関係など、それによって話の掘り下げ方が変わる。
 くわしく尋ねて良い関係なのかどうか。    

要素3:「その人」の気持ち
 その話題を聞いて欲しいのか、報告だけにしたいのか、相談したいのか、励まして欲しいのか。
   遠慮したり、強がったりしてる場合もあるから、言葉そのままではなく
   表情や口ぶりから「汲み取ってあげる」ことも必要。

要素4:その場にいる他の人の感情
 話に加わらないで黙っているメンバーがいたとする。
 「おや?心配じゃないのかな?冷たいな」と感じたとしても、
 その人にはその人の事情があるかもしれない、と考えることも必要。
 (実は似た悩みを持っているとか、思い出したくない事があるとか)


たとえ話が長くなってしまったけど、
ひとことで「空気を読む」と言っても、このように多くの要素を見極めながら把握していく作業になります。
逆に言うと、このように周囲の情報を整理しながら状況を把握することを、「空気を読む」という言葉で表現しているのです。

とはいえ、実際にはここに書いたようにいちいち分析しているわけではなく、
本能的に嗅ぎ分けながら、アンテナを張りながら、無意識のうちに見極めています。
(たまに読み違えることもあって、「しまった失言しちゃった」と焦ることも、もちろんある)

ASDの人が空気が読めないといわれるのは、
目に見えないこれらの「要素」を認識することが難しく、言ってはいけない事や場にふさわしくない事を言ってしまったり、自分中心の視点で話をしたりすることが、ままあるからです。



ここで、冒頭に書いた
>自分が思っている意味と、他人が思っている意味が違うかもしれないぞ
ということについて書きますと、

この「空気を読む」という言葉を、どうも違ったニュアンスで使っている人や場面をよく見かけます。

【例1】ある人物の悪口で盛り上がっている中、加わらない人がいる。「あいつ空気が読めないな~」

【例2】飲み会で「みんなイッキしてるのになんでお前だけやらないの?空気読めよ」

【例3】クラスでいじめが起きた。「なんかあの子をいじめようっていう空気だったから、イヤだったけど私も空気を読んでいじめに加わった」


これはどれも「不愉快になる誰か」の気持ちを無視した行為。
空気を読むとイヤな思いをするとか、空気が読めないと言われないようにイヤだけどガマンするとか、
そういうマイナスな意味に使われてる。

本来は、イヤな気持ちになる人が出ないようにするための「空気を読む」なのに、
間違えて使っているのですよ。

だけどこの手の勘違いは本当に多くてイヤになってしまう。

【例1】は、ちょっと昔なら「なんかシラケるな~」とか言ってたと思う。
それで場がシラケたら尻つぼみになって終わるとか、その人を抜きにして再開するとか、
「場」が変わることで終結した。
しかし「空気を読む」という言葉を(誤用だけど)使うことで
その人を悪者にして、「場」を変える必要がなくなるというわけで、ズルイよな~。

【例2】は、飲酒強要のアルコールハラスメント。セクハラやモラハラにもよく使われるようです。
「空気が読めないと言われたくない」と思う人の心理を逆手に取っているわけですが、
これももちろん誤用であって
嫌がる人に強要する行為が「空気を読む」なわけがない。
そんなことを言うおまえこそ空気読めと言ってやりたい。

【例3】は、「流されてる」というのが正しい。付和雷同とも言う。
いじめに対抗するのはとても難しい事だから、流されてしまう人の気持ちもわからないでもない。
ただそこで「空気を読む」という言葉を使ってくれるな、と思うわけです。


「空気を読む」は、
大勢に従うという意味ではありません。
自分の気持ちを曲げて他人に合わせるという意味ではありません。
考える事をやめて周囲に流されるという意味ではありません。


「空気を読む」は「気を使う」と同様、他者の気持ちを大事にする行為を指す言葉であるはずなのに、
自分の気持ちを満たすために使う人がいるから
なんだか悪い行為のように受け止められているのは本当に残念。

そして、「空気を読む」というフワッとした言葉の意味を把握できない人が、
誤用をそのまま信じて
「空気なんて読むものじゃない」とか「空気を読んだらダメだ」とか
誤解してしまっている。

徐々に「空気を読む」という言葉が(本来の意味で)使いづらい世の中になったなあ、と感じます。


もし「空気が読めないな」「空気読めよ」と言われて、
それが本来の意味から来るものだったら
ちょっと反省も必要かもしれない。

でも、それが本来の意味ではないとわかったら、気にしないことです。
そして要求や命令に安易に従わないことです。