(初版 2016/2/6)
・~小学校
寝付きは悪かったらしい。家族がかなり非協力的なのでよくわかっていません。
・小学校時代
割と普通の時間に寝起きしていた
ただ夜型だったので寝られないでベッドでじっと耐えていることが多かった
小5、6あたりで集団登校の集合についていけなくなってくる
ただし社会時間は保っていた
※加筆(2021/7/4)
もう少し詳しく書くと、朝起きられないのが始まったのは
小学4年生か5年生だったと思います。
午前8時頃にマンションのロビーに小学生が集まって1年から6年まで皆で集団登校するシステムでした。
この集合時間に遅刻するようになりました。
最初は1ヶ月に1回程度で、うっかりミスとしてごまかしていた記憶があります。
おそらくこれが小学4年生。
小学5年生頃から、どうしても起きられない日が増えてきました。隣に住んでいた1つ下の学年の子がいつもインターホンを鳴らしにくるんですが
どんどんその頻度が増えていきました。
その子、ずっとドアの前で待っててくれたんですよね。
今考えても申し訳なかったです。その子は呆れてた様子でした。
仕方無いので「先行っといて」と言ってましたが、
状況は改善せず次第に待たなくてOKと伝えるようになりました。
そしてインターホンを鳴らしに来ない日が増え、ついには呼びにこなくなりました。
母親がずっと起こしているのに体が重くて動かない感じでした。
ベッドから滑り落ちるようにして朝食を食べることで
なんとか体を始動させていました。
母がテレビ好きなので朝はずっとテレビがついていて、
おはよう朝日やポンキッキーズといったテレビ番組がカウントダウンのように
流れてたのを覚えています。
番組ですので決まった時間帯ごとに細かくコーナーがあって、
遅刻が酷くなるのに比例して、どんどん遅い時間のコーナーを見慣れてくるんです。
これは遅刻をする人にありがちな体験だと思います。
よく覚えているのが、ポンキッキーズで8時8分に演出があるんですよ。
これを見ると遅刻が相当ヤバい段階に来た合図で焦っていたのですが、
最後のほうはその演出を見ても全くヤバさを感じなくなっていました。
慣れてしまっていたんですね。
1人でトボトボと登校し、誰もいない正門から学校に入ったのをよく覚えてます。
徒歩10分で住宅街のど真ん中に学校があり、また私は体も大きく
身長順だと常に一番後ろあたりでしたので、問題ありませんでしたが
小学生の女の子が日常的に1人で登校するのは、地域によっては問題でしょう。
女の子のnon-24当事者の親はそのあたりを留意する必要があります。
学校が始まるのは8時30分か40分で、集団登校の8時00分から余裕があったため
授業に遅れることはほとんどありませんでした。
学校を休んだのは記録上年3~4回でした。実感でも同じです。
成績表を見返すと遅刻ゼロなんですよね。
当時は90年代でガバガバだったので、遅刻のカウントも緩かったのだと思います。
なんらかの配慮があったのかもしれませんね。
面白いことに中学の成績表でも同じです。
中学で遅刻が本格化しますが記録上は年1回とかです。
※加筆(2021/1/24)
子供だからか解りませんが、授業中に寝ることはほとんどありませんでした。
あっても6年間で数回程度。
また友達関係に恵まれていたので、その点はメンタル良好だったと言えます。
※加筆(2021/7/1)
non-24を遠因として発現しがちなズル休みは6年通して2, 3回程度でした。
中学のところにも書いていますが、
これは母親が休むことに異常に厳しかったおかげです。
母親のこの方針ですが、
私の睡眠異常に対するアプローチとして厳しくしたわけではなく
単に祖母の考えをコピーした様子でした。
「風邪を引いても這ってでも学校に行かなければならない」
「這ってでも学校に行くと病気は治る」
とよく言われたものです。
私は母親の教育方針のほとんどに今でも賛同できませんが、
この一件に関しては別で、結果的にですが非常に大きな知見があったと思っています。
こういう言い方をすると眉をひそめる方もいるかもしれませんが、
non-24に対して精神論で闘い、そして心が折れるまでのフェーズを
一度通ることは重要だと思っています。
とは言っても、何が何でも精神を削りながら学校に行くべきは思いません。
特に人間関係の重度のトラブルを抱えているなどの場合は全く話は別です。
また私が小中学生として過ごした90年代は
小中学校からドロップアウトすると教育の代替手段がなく家にネット環境もないという
超イレギュラーな生活に突入する運命にありました。
2021年現在とは全く時代背景が異なっている点に注意が必要です。
※加筆(2021/7/1)
芸能人が自身の夢遊病らしき症状について語ってました。
その拍子に思い出したのですが、私も子供の頃に夢遊病(睡眠時遊行性)がありました。
non-24との関係は解りませんが。
結構深刻で、酷いときは暴れたりしていたようです。
2段ベッドの上から落下したこともあり、頭から落ちて
階段にもたれ掛かる形で逆さになっているのを親に発見されたこともあります。
落ち方によっては死んでたと思います。
怖いことに夢遊病の間は記憶が一切ありませんでした。
小学5年生あたりで自然に治りました。
おねしょは小学4年生のときに1度だけ経験があります。
それが物心ついてから最初で最後の1回でした。
※加筆(2022/6/15)
家のベッドは妹と2段ベッドを共有していて、不定期に上下を交換する、
みたいな使い方をしていました。
しかし小5あたりからか、私が下の段で固定して寝るようになりました。
というのは上の段で寝てしまうと、朝起きようとしても体が動かず
相当な覚悟が決まらないと降りられないのです。
下の段では這うように体を動かし、ベッドから落ちる感じで出て
半分寝ながら食事を取るということができていました。
こうした起きられない現象はNon-24的周期だったのか、ですが、
残念ながら細かい所までは記憶がはっきりせず解りません。
・中学時代
ここで崩れ始める
徹夜するのが楽しくて仕方なかった
中二病だったのか、本当に自分のリズムで生きれたからなのかはよく解らない。両方かな。
遅刻が増えまくる。とにかく朝起きられない。
友達にずーーーっと「眠い、眠い」と言っていた。相当ウザかったと思う。
先生と遅刻について真剣に話し合った次の日、遅刻したりした。
先生もちょっと異常を察していたような気がする。
4時以降起きていることは少なかったように思う。
DSPSのような状態だったかも。
睡眠リズムが崩れてもとにかく体力で突っ切る感じ。
その姿勢が原因だったのか、慢性疲労症候群の診断を受けてしまう。
ADHD・アスペ的な傾向もあったのだろう。
面白いことに当時精神的には全く折れていなかった。精神的にタフなのかもしれない。
とにかく精神的にはギラギラとしているが、体は肩こりだらけで原因不明の不調が続いていた。
エネルギッシュなのだが鉄の塊を引きずりながら歩いていた感じ。
当時はまだ90年代で14歳、情報もノウハウも乏しすぎた。
思えば今は良い時代になったものだ。
※加筆(2021/1/24)
小学生時代と違って授業中に眠くなるので
寝ても怒られない授業を選んで結構寝てました。
また遅刻しまくってそういう「キャラ」を作っていたため、先生からかなり怒られはするが最低限の折り合いはつけていました。
成績は学年約250人の公立学校、中流家庭だらけの地域で上位30%の位置でした。
微妙な成績ですが、私は割と地頭が良かったのでそれで無理やりカバーしていたタイプでした。
塾にも行っていませんでした。
non-24での中学の学業適応はかなり地頭の程度に寄るのだと思います。
※加筆(2021/6/28)
ここは地頭とか嫌な書き方になっていると思いますが、当事者の方なら言いたいことは解ると思います。
「若い頃はブラブラして人に迷惑かけたけど、今はサラリーマンで落ち着いたよ」みたいな
その手のハッピーエンドにならない可能性が高いんです。non-24という症状の性質上。
単に平準化したような量産型チックな能力形成をやってしまうと
上記のリンク先に書いた理論により人生どうにもならなくなる可能性があります。
だから人生の初期に才能をできるだけ把握して、諦めるとこは諦めて、
伸ばすべきところを伸ばすという具合に早く道を決めることが必要だと思います。
non-24をマジで真剣に語るなら、地頭、才能、適正、こういうワードからは避けて通れないです。
当然ですが学業成績がnon-24で強いダメージを受けることは確実です。
しかしこれがどの程度の影響だったのかは実は現在でも解りかねています。
というのは、私のケースではこの時期に家庭環境が破壊的状況だった為、
その部分で学業に強烈なダメージを受けていて、後年になっても
細かい部分の観察が出来ていないのです。
また両親は名前を書けば受かる高校の高卒だったため、このあたりの親の教育感も大きくマイナスに作用したことは確実で、non-24について個別的な判断は困難というのが現状です。
友達関係はやや不安定になった時期もありましたが、総じて恵まれていたと思います。
non-24に付いて回る社会適応困難に一番気をつけなければならないと思います。
これは必ず併発してくる問題でしかも根が深く影響の波及が見えにくいです。
私は家庭がボロボロでしたが、学校内の人間関係はそこそこを保っていました。
ですが、non-24付随の悪影響は一定、人間関係に波及していました。
学校の人間関係がやや不安定になった時は学校適応が危うくなりそうな時期もあり、
学校の人間関係が破綻していたら中学はドロップアウトしていた可能性が高いです。
部活は緩いテニス部をやっていました。厳しい部活だとnon-24やらで
体力的に続かなかったと思います。それを見越して緩い部活に入ったのですが。
こういう選択にもnon-24の影響は出ています。
しかし一方で、中学時代は一番体力があった時期なので
やろうと思えば色々できたかもしれません。
体を動かしさえしていれば寝ずに稼働できる自信がありました。
この自信は14歳~17歳ぐらいまであったと言えます。
小学生時代と違って授業中に眠くなるので
寝ても怒られない授業を選んで結構寝てました。
※加筆(2021/2/11)
今なら解るのですが、遅刻というのはnon-24も考えられますが
同時に習慣や、家庭環境の脆弱さの問題でもあります。
私の場合は特に、他の適応はできているのだから
遅刻癖があるなら起きる時間を早めればいいという考えも一応通ります。
私の場合は親が別居していて、母親が舵取りをして家のルールが回っていたのですが
母にはアスペ傾向がありました。
家の習慣が非効率すぎて地獄のようになってしまっていました。
起きられなかった、という理由で仮病を使って学校を休んだこともありましたが
そこまで頻度は多くなく数回程度でした。
その点については、母親が学校を休むことに対して異様に厳しかった結果だと思います。
親が仮病に甘かったら・・・おそらく私はかなりの回数を仮病で休んだと思います。
ここは結果的に良かったと思っていて、結果論ですが親に感謝している点でもあります。
私はこの体験から、若い頃は根性論で自分を追い込む、追い込めると思ってます。
ギリギリの攻防で得られる知見というのもあり、
それは人生に強く影響を及ぼす知見であり、体力があるこの時期でしかできないと考えています。
※加筆(2021/6/28)
ここもおそらく眉をひそめる方が多い記述でしょう。
特に学校を休みまくる選択をした人にとっては。(私はそれも一つの選択肢だとは思います。)
しかし若い頃に睡眠相に無理やり逆らった、逆らえた事実は私の中で大きいのです。
その成功、失敗の両方の意味を持つ体験は後年になって自信に代わります。
そしてこの体験は後年になってできないのです。
※加筆(2022/6/15)
面白いことに、0時ぐらいに寝て7時ぐらいに目が覚める、という
完全に社会時間で寝起きできて、体のだるさが無い日がたまにありました。
あれは何なんだろう?と思うのですが、
Non-24の睡眠相が社会時間と完全一致したタイミングなのでしょうか。
※加筆(2023/4/23)
遅刻が起きるメカニズムですが、今なら整理することができます。
1.Non-24
2.友人関係
3.学校の距離
4.家族仲がボロボロ
5.母親のアスペ傾向
まずNon-24の影響があることは間違いないです。
今とは睡眠サイクルは違いますが、当時から不安定でした。
次に2の友人関係ですが、私に関しては悪くなかったです。
しかし他人のケースを観察していると友人関係は重大だと思います。
3の学校の距離、私の学校は家から5分だったんです。近いです。
語ると長いので省略しますが、
Non-24の人に設定されるタスク(通学など)は、短時間が望ましいです。
最近解ってきたことですが、睡眠相の外で出来る行動って限られてるんですよ。何もできない訳ではない。出来る行動は意外とあります。
ここを切り分けて詰めるのほんと重要です。
4が大問題で家族仲がボロボロでした。ほとんど毎日怒鳴りあってたりするんですよね。
これやると精神が擦り切れ続けます。
当時の母親は今の私ぐらいの年齢。
もうちょっと知恵を働かせてくれることはできなかったのかと落胆します。
5に関してですが、これは解らない人は解らないでしょう。
家の文化がアスペの特徴でてんこ盛り。
例えばティッシュがない。箸や皿は何十本もある。
手を拭くタオルが全然ない。バスタオルはなぜか多い。
この非効率さとNon-24で動けない時間を組み合わせると身動き取れないような生活になります。
・高校
かなり崩れる。高1でネットをやりはじめたというのもある。
休みの前日は朝7時までネットやってることが増えた。
高校は楽しかったし、厳しくなかったし、
体力も精神力も有り余ってた時期なので遅刻をしたり自主休講しながら卒業。
※加筆(2021/1/24)
私の選んだ高校は偏差値47ぐらいの商業高校で、
私は商業科目がやりたくてランクを落として進学していたので
学業面での不安はゼロになっていました。
当時大学進学を真剣に考えてなかったというのも大きいです。
授業もゆるく、眠いときは大体寝れました。
Non-24は中学より明らかに進行していて、
ネットをしてから完徹で学校に行って寝ることも多かったです。
※加筆2(2022/5/16)
人生初のバイトを16歳、高2の夏休みでやったのですが、
初日で遅刻するという失態をやらかしました。
窓際で寝てたら時間が過ぎていたのですが、
寝る時間は当時で既に安定してなかったように思います。
遅刻に対してはどうしようもない、気合いしか手段がないという感覚でいました。
高1の2月にWindows98SEのパソコンが手に入って、
ここからネット漬け人生が始まります。
睡眠時間も大きくDSPSかNon-24っぽいものに傾くようになりました。
それまで深夜だとテレビを見るか(3時台になると途端につまらなくなる)、
ゲームするぐらいしかやることが無かったんです。
※加筆3(2022/5/26)
高2の9月に50ccの原付を買ったのも大きな転機でした。
これでNon-24人生に突然の急展開が起きました。
睡眠障害とバイクには、悪魔的と言えるほどの相性の良さがあります。
バイクとNon-24についてはこちらの下のほうに詳しく書いてます。
・専門学校
これがきつかった。勉強自体は楽しかったのでほとんど休まず行った。
が、最後崩れてかなり休んだ。
この「最後に崩れる」パターンは高校も同じで、以降もちょくちょく起こっている現象。
授業中は基本どこかのタイミングで昼寝。
サーカディアンリズムが社会時間と真逆の時期はほとんど机で寝ていたりした。
これはかなり苦しい時期だったが、とても勉強を真面目にやっていて、
体はボロボロだったが資格もとれたので充実していた。
※加筆(2021/1/24)
周りから見たら真面目に居残りまでして勉強するのに
授業は定期的に寝る謎の人に見えたと思います。
私にとっては社会時間で生活した最後の学校でした。
※加筆(2021/2/11)
就職は全く考えておらず、就活も何もしませんでした。
当時の私は、睡眠の違和感や家庭環境の不和、自分の身体の不調など
もう途方も無いぐらい問題を抱えていました。
その中、19歳あたりで睡眠は明らかに異常だと気づいていた為
その時点でフルタイムで働くのは不可能と考えていたのです。
大学生活が終わる26歳ぐらいでも同じことを考えていたので
私の人生上での大きな意思、理由付けだったと言えます。
また当時はこっちのほうが理由の割合としては大きいのですが
私は大学に行きたいと思っていました。
他の理由として、私は中学生のときから就職しないと考えていました。
これは無意識でnon24的な辛さを志向していたのかもしれませんが、
当時は、父方の家系にサラリーマンが居なくて自分もそっちの気質、
だから自分もそう生きる、とそういう理由付けで居ました。
父方の家系にサラリーマンがいないのは事実で、
事業起こすか反社か、みたいな完全なアウトロー家系でした。
これは今考えると持病として父方の家系にnon24があった結果に依るものかと
考えたりもしていますが、詳しく追跡調査が出来ていません。
唯一コミュニケーションが取れる祖父がいますが80歳超えてます。
もう先は長くないのでnon24関連の話をしたいと考えています。
※加筆(2021/6/28)
もうひとつ重要なのは、18歳あたりから無理が効かなくなったことでしょう。
具体的には、無理をすると自分の体に簡単に表出するようになった。
肌に謎の湿疹が出たり、治りにくいニキビが出たり、内臓の調子が悪くなったり。
一番酷かったのが肩こりです。肩こりといえば軽い響きですが、
それが重度に進行していて、当時は3分間同じ場所に立つことができないとか、
30分座ると首の痛みから熱が出るとかそんな状況でした。
この当時の体の痛みについてはnon-24による疲労の蓄積由来と、
アスペ傾向による脳と身体の同期不全による不調の蓄積という2つの可能性を考えています。
どっちかは解っていませんが後者寄りかなって感じです。
これは結局、当時いくつかのボディワークを5年ほど掛けて独学しほぼ復調しました。
社会時間で生きた最後の年齢である20歳ですが、
私は自分の睡眠のおかしさに気づくと同時に、もう無理が効かないことを悟っていました。
幸い、頭脳だけは14歳ぐらいからブーストが掛かったように調子が上がっており、
特に18歳から更にブーストが掛かった感覚がありました。
思考面ではまだまだ無理が効いた為、
限界突破するなら思考で頑張る方向に人生を変えて行きながら
これからの自分の生き方を覚悟をしていった、そんな時代でした。
・専門学校卒業後
ここで始めて自分の時間で生きる。もうこの喜びはすごかった。
自由に夜更かしできて、自分の時間で物事を決定できる。
しかしこれでも不思議なのが、自分がnon24っぽい睡眠リズムだとは一切気づいていなかったことだ。
「夜型」とかそういうキーワードだけしか印象になかったのだ。
※実際にnon24っぽい睡眠リズムだと確信したのは31歳の時。
ブラウジング履歴を統計処理して睡眠記録としてエクセルでシートを作って計算を出した瞬間だった。
・浪人時代
大学に入りたかったので1人で勉強をする。期間は2年半と長い道だった。
外部の要請がない環境を得た。ここで様々な知見を得る。
深夜3時前後に寝ようと苦闘していた。
睡眠記録をとっていなかったが、朝5時以降に寝ることは少なかったと思う。
朝4時はヤバイ、昼夜逆転してしまうというのが自分の中にずっとあって、
そこをキープしたいというのがあった。その結果として5時までには寝るようにしていたのだ。
実際にはそううまく行かず、回転していたこともかなりあったと思う。
これは睡眠記録が出せないので正確な判断はできない。
週5くらいで勉強場所に勉強しにいってた。
また、約1時間ずつズレていってしまうなという漠然とした実感があった。
机で寝ることができるので楽だったが、
いつもどこかで横になりたいとばかり思っていた。
机で寝るのはとてもしんどい。
※加筆(2021/6/28)
この時代は20歳無職となった私にとっての人生の再スタートでした。
様々なトラブルがカオス化して駆け抜けていくような苦しい20年間から脱出し、
図書館の自習机で徹底的に自分と向き合い人生を総括する、
その延長として受験勉強をする、勉強に疲れたら本を乱読する、
その繰り返しでした。
1年半で希望の大学に入れなかった為、なんとこの生活が2年半続きます。
これは2004年~2007年の話なのですが、当時のインターネットは
ネットが普及した2000年頃から時代が2, 3周過ぎていました。
それによって情報は大体が出揃って、しかも格段に充実し、
検索すれば一通りの情報ならとりあえず過不足なく得られる時代に突入していたのです。
それまではネットはとにかく不正確って言われてたんですよね。今言われる「ネットは不正確」とは違い、取捨選択すら意味がない、
ネット自体が悪なのでネットを辞めたほうがいい、みたいな評価でした。
ネットが昭和の既得権益をかなり飲み込むことが確定した時代で、
反パソコン、反インターネットの人がまだまだ大量にいました。
ネットそのものを否定し旧体制への回帰を叫ぶとか、2021年現在では考えられないですね。
私は小学生からパソコンやってて90年代からコンピュータに詳しかったので、
デジタルの最右翼と認識されて、まあ的はずれな批判を大量に浴びたものでした。
しかし、その反デジタルの旧世代達が次々とデジタルに白旗を上げていく、
そんな転換も同時に目の当たりにしました。
私にとっては情報が無い、家族がぶっ壊れてる、睡眠がおかしいといった、
90年代の忌々しいカオスを生き抜いて、デジタルの追い風が到来し勢いまでつけ始めたため
無職でnon-24でもそれまでの人生より間違いなく一番充実した生活を過ごしていました。
2004年というのは私にとってそういう時代でした。
記憶はあいまいなのですが、この時代にnon-24についての知見を深めたと思います。
パソコン上には2008年の一番古いnon-24に関するファイルが残っていますが、
おそらくその数年前であるこの時代に「非24時間睡眠覚醒症候群」という
概念およびワードに接して、次第に自分がそうじゃないかと考えたものと思われます。
医学の知というのは、その辺りの時代は一般人にはアクセスが難しいものでした。
特にnon-24みたいな罹患率の低い症状は知る由もない。
だから2004年あたりはnon-24が周知される芽生えの時期だったという解釈が出来ると思います。
私は1983年生まれで、2004年当時20歳です。
インターネットというセーフティーネットに、若い時間のうちにギリギリ引っかかったとよく思います。
もし生まれるのが10年早くて1973年生まれだったら、
non-24の自認が無く、しかもnon-24の症状が深刻化した18歳以降、
当時のカオス生活のままネットの無い90年代を生きなければならなかった。
非常に過酷な人生になったように思います。
逆に10年遅くて1993年生まれなら小学生時代で既にnon-24の情報を得られたでしょうけど。
まあ生まれる時代は選べないですけどね。
長々と書きましたが、現代のnon-24当事者は時代と技術の進化に感謝しましょう。
そしていい時代に生まれてラッキーとポジティブに捉えるのが良いです。
ネットの無かった世代のnon-24当事者の苦境、これは本当にキツかったと思います。
続く