35歳前後だったと思う。実家へ強制送還された。引っ越しのとき父の車の先導していたら、私の車に貼ってあった、水曜どうでしょうのステッカーを見られて、居酒屋で公開大説教された。
それから父から「日銭を稼げ」と言われ、なんとかスーパーのパートにもぐりこめた。近隣市町では一番規模が大きいと思われるスーパーだ。
年下の先輩に顎で使われる日々。しかも「使えない奴」と思われていた。
シフト制で週休2日、4時間の勤務。最初は朝のシフトだったが、年末には夜のシフトに変わっていった。
出かけようとすると父に怒鳴られる。どこに行くんだ、と。シフトの件を伝えても、なんで教えないんだとも。恐らく近所の人の目を気にしていたのだろうと思う。
病院は札幌で車で通っていたが、あるとき友人(後の彼女)と会っていると、父から電話が来て「今どこに居るんだ、まだ帰らないのか」と詰められた。夕方に近い時間だったのも悪かったけれど。急いで友人を送り、すぐ帰ることになった。
朝シフトのときは、昼には帰れたが、父母がいる空間でもそもそととる昼食は味がしないくらいだった。父は私の顔を見るにつけ、苦々しい顔をする。
精神的にも参ってしまい、毎日パック酒を飲んでいた。
パートの仕事も、リーダー的な人が居て、指示出してすぐ何処かに行ってしまう。荷出し、前陳、値段の変更、POP作成のお願い、食堂の掃除。適当な時間見つけて煙草休憩も取った。どうせ誰も見ていない。
辛かったのはBGM。ある時間になると毎日同じ音楽がかかる。それもヘビーローテーションで。私には耐え難いほど苦しいもので耳を塞ぎたくなる。まるで拷問だった。
あるときリーダーに呼び止められ、リーダーもパニック障害だと告白されて、私も鬱だと言わざるを得なくなった。すると課長からクビ宣告され、鬱なら採用しなかったのに、とぶつぶつ言われた。
このように家でも職場でも居心地が悪い日々で、これが1年続いた。クビになってしばらくしてから派遣会社から電話があり、明後日くらいから石狩湾新港で仕事してくれ、と来た。急いで部屋見つけるので、数日待ってもらい、部屋を見つけて引っ越しして、就職したわけだが・・・。渡りに船だと思ったが、そこも1~2ヶ月くらいでクビになった。誰も仕事教えてくれなかったから。そしたら無能扱いされたのだろう。
そこから無職生活が始まったのだった。