失業後は失業保険もらいながらハロワに通っていた。しばらくは気楽に考えていて、のんびり探していた。その合間に気張らしでドライブに行ってあちこち走り回っていた。

 保険も切れる頃、とある食品の訪問販売の会社に就職が決まった。10人もいないような小さな所だった。

 面接時に鬱であることを打ち明けており、それでも採用してくれたことに有り難さを感じていた。

 入社するに当たって、商品を3個売ってこい、と言われた。その商品の説明もなしに。重いカバンを持ちながら、あちこち車で走り回って、いろいろな所を訪問した。そりゃいきなり来て、買って下さいなんて言われてほいほい買ってくれない。その商品とは生蕎麦だった。当時汁つき3食分で1100円。簡単には売れない。

 それでもなんとか売った。自腹切って割り引いたりして。すると翌日は4個、翌々日は5個。神経をすり減らしてなんとか売った。これで正式な入社となった。

 1日に15個売ったら得意先名簿を渡す、と言われたがそんなに売れる訳がない。

 先輩社員について行って、激しく叱咤されながらでも売れない。そのうち自爆して売ったことにしたり。毎日蕎麦を食べていた。

 出張にも行った。片道2時間かけて遠くに行った。が、悲しいかな、1個も売れないこともあった。

 そんな状態の私を見て、社長は工場勤務を勧め、仕方なく工場へ行くことに。蕎麦、うどんの箱詰めは非常に難しく、手の厚さで麺がぶつぶつ切れてしまう。

 そして汁も袋詰めで計って入れて、封をする。そしてシールを貼る。

 ある日仕事が一段落して、やれやれ、と10秒くらいぼーっとしてたら、社長に怒鳴り散らされた。鬱なんて甘えだと。社長は、とある大学で心理学の非常勤講師をしてたという話しだが、精神医学には理解はないようだった。

 それにも嫌気が差したが、ある日もっと酷い現場をチラ見してしまって愛想が尽きてしまった。俺らが必死こいて働いているのに社長は・・・・。

 翌日退職する旨を伝えた。後日実家にも電話がかかってきて、退職しないよう説得して欲しいとか言ったらしい。

 

 結局、私のような口下手には通用しない、口が上手く押しが強い人じゃないと務まらないところだった。蕎麦は確かに美味しかった。でもそれをお客さんに伝えること、それ以前に話を聞いてもらえない、そういうことが積み重なり諦めることにした。

 

 その後は更に悲惨な就職活動、生活になっていくのであった。