30年前の今日、阪神淡路大震災があった。テレビでは追悼の模様が幾度となく放送されている。
当時私は寝る前にラジオを聴いていて、その日はそのまま寝てしまった。すると、「榎さんのおはようさん」で榎さんが、地震で大変なことになっています、と放送していた。そのまま再度眠って、起きてテレビをつけたら、惨状が画面に映った。
大地震とは怖いものだ。北海道南西沖地震でも、奥尻島が全島火の海になっていたし、津波も10数m級のが来たとか。
阪神淡路大震災は都市部の地震であったから被害も大きい。
会社、業務用食品を扱っていて、学校向けに、節分用の豆菓子を案内していて、注文を取り集計して、メーカーに送っていた。それが神戸の会社だった。当時の部長がその会社に電話をかけ、お見舞いの言葉を言っていた。
困ったのは工場も潰れてしまったわけだから、商品が作れない。急遽他の地区の豆菓子メーカーに切り替えて事なきを得た。
無事に阪神淡路地区は復興した。しかし、東日本大震災はまだまだ完全ではないし、能登はまだ水道も使えないところがあるらしい。もう1年以上経っているのにもだ。奥能登という不便な土地とは言え、復興が遅すぎるのではないか。
何かで政府が赤い羽根募金に何億と寄付したと以前ニュースで観た覚えがある。その分復興に回せば良いのにと思った。それになんでまた胡散臭い赤い羽根なんかに。
地震は怖い。胆振の地震では当事者になるとは思いもしなかった。コンビニ、スーパーには人が押し寄せ、食料が無くなっていて、少しだけ残っていた菓子を買って、晩飯にしたり。幸い翌日夕方には電気が通ったので、情報を得る事が出来た。
更に翌日はクリニックの診察日。昼食をいつもとっていたドトールは閉鎖しており、どうしようか、と思っていたら、近くにガストがあったのでダメ元で行ってみた。するとメニューは一種類しかできません、ということだったが問題無し。無事に食事にありつけた。
デイケアもスタッフ、利用者合わせて4人しか集まらなかった。診察はなんか、ごく普通に受けられた。
・・・とつらつら書いてみた。南海トラフの危険性も注目されているので、その地方に在住の方は防災グッズを購入しておいた方が良いのでは。災害はいつ起るか分からないから。