高校の部活帰り、なんとなく思ったことがある。
 家々、アパート、マンション、夜になると灯りがともる。その灯りの下に一家団欒があるのだろうか。

 当時、家は結構厳しくて、21時頃に帰ると長々と説教された。高校が隣の市なので、ターミナルからターミナルへ移動するだけでかなり時間がかかった。だから部活後に友人、先輩、後輩たちと寄り道していくことは難しかった。遊びたい盛りの頃だったので厳しいな、といつも思っていた。

 そんな中、自分と同じ境遇の家庭はあるだろうか、門限は厳しいのか、家族団欒、テーブルについて楽しく語らっているのか、などと想像していた。
 家は父が酒飲みで、面白くないことがあるとすぐ説教が始まる。だから食卓は結構殺伐としたものだった。機嫌良く飲んでいた日はあったかどうかは記憶にない。いつも不機嫌だという印象しかない。
 職場で何かあれば長々と愚痴り、テレビは騒がしい、くだらんと言い、兄弟仲が悪かったので、愚痴悪口。それらがこちらに向かう。一番の被害者は母だった。
 私が大学の頃だったか、母はメニエール病に罹った。回転性の激しいめまいを起こし、それを繰り返していくうちに聴力が弱くなり、耳が遠くなるというものだ。神様が、もう父の愚痴を聞かなくていいように、と思ったのかもしれない。
 そんな母を、父は「つんぼ」となじった。幸い母には聞こえてはいないようだった。

 そんな父も3年前に亡くなり、正直なところほっとしている。私に対しての理解もなかったというのもある。
 母もすっかり耳が遠くなり、補聴器をつけても普通の会話も難しい。まあ、ストレッサーも居なくなったことだし、母には長生きして欲しい。