昔から解らないものがある。それは自分が何をやりたいか、ということだ。

 小学校の卒業文集とかで、将来の夢を書いたりするが、その時は鉄道マニアっぽかったので、特急の運転手なんて書いた。

 中学になり、部活で忙しい日々を送っていたが、その時は漠然と作曲家になってみたいと思っていた。作ったことも無いのに。それは高校になっても続き、現実味のない夢だった。

 それから進路を決めることになるが、正直何をしていいのか全然思いつかず、困り果てた。出した結論は、札幌に出てどこかの市民バンドに入って楽器を続けよう、ということだった。

 それで就職組となり企業を受けたが、見事に落ちた。

 これからどうすればいいのか、本当に困ってしまった。進路指導室に籠もって求人票を何度も読み返した。でもピンと来ない。

 進路指導の、その高校で唯一尊敬出来る先生に、大学へ行って探すのもひとつの方法だ、と言われ進学することにした。

 入学して2年目、学びたいことのコースから外れてしまい、いろいろとやる気を無くし、サークル三昧の日々を送った。

 そして進路。ここでも何も思いつかない。リクルートから資料がどっさり送られてきたが、道外の企業が多く現実的では無いと感じた。

 イベントの就職説明会にも、企業の勉強会にも参加した。

 結局、苦労した食べること、給料で判断し、業務用食料品卸の会社に入社した。

 11年働き、メンタルが崩壊して退職。その後は何故か食品に関係する会社に就職することになった。派遣切りや首になったりして、最長5ヶ月しか続かなかったが。

 本当なら、最初に勤めた会社での知識が活かせる仕事がしたいと思っていたが、そうそうそんなものはなかった。

 現在はB型事業所とデイケアに通う日々だ。事業所はやっている内容は特に希望したわけでもなく、流されて今の作業をしている。PCのスキルがUpするわけでもないけれど、以前Excelの資格はここで勉強して取った。しかしもう忘れた。

 人生の岐路に立たされた、高校、大学時代。その大事なときに何も考えられなかったのは痛手だった。皆将来のことちゃんと考えているのか、と愕然とした。

 もしJRが求人を出していたら応募していただろうか。嫌、こういうのは趣味で楽しむものだろう。

 楽器がもっと上手くてピアノが弾けたら音楽の道に進みたかったが、気がついたときには遅かった。

 

 私は小さい頃から両親に、何を考えているかわからない、と良く言われていた。私も何考えているかわからないから当然だ。こういうときに相談すべき人がいなかったのは痛手だったと思う。

 大学の時は進路指導室は利用せず、自分で勝手に就活をしていたから、もっと利用して相談するべきだったと後悔している。