こんにちは。
新潟交通4回目は
六分(ろくぶ)駅のことを書きます。
1993.4.29の昼下がり
ぽかぽか陽気の六分駅と
すぐ脇の中之口川の土手の上で
まったりと至福の時を過ごしました。
前日からの強行軍の撮影行で
疲労もピークに達していて
がつがつ撮るというよりは
ぼーっと眺めちゃったりしました。
この前年、1992.3には
白山前~東関屋の路面部分が廃止、
六分駅を含む月潟~燕間は3ヶ月後
1993.7末で廃止されました。
そのつもりで
もう少し真剣に撮っておけばよかった。
(あとのまつり、という)
モハ14
燕行きが通過していきます。。。
のどかだなあ・・・
動くのがめんどうだなぁ・・・
うとうと・・
うとうとうと・・・
あ、やばいやばい
居眠りしそうな午後でした。
六分駅の駅舎です
同じ位置から振り返ると農業倉庫
永年風雪にさらされ消えた文字
○○農業倉庫と読めますが
最初の二文字が判りません。
大きいほうの看板の右端は「米」
お米の倉庫だったみたいですが…
(米どころ新潟!)
すでに鉄道の貨物輸送も廃止、
倉庫も現役ではなさそうです。
レトロな倉庫には・・・
電柱の横、赤い消火器の箱の
あいあい傘の落書きがレトロすぎます。
駅舎をホーム側から見ると…
ひさしの筋交いが
ずいぶん頑丈そうです。
積雪に耐えられるようにかな?
下は線路で雪下ろしはできませんから。
やはり朝が勝負ですね。
午後はひと際ゆっくり時間が流れます。
駅舎側ホームは東関屋方面行き
駅舎側から上りホーム(燕方面)を見る
対向ホームにもちゃんと待合室がある。
電車が停まる位置には油が落ちて
黒く汚れている。
鉄道模型のレイアウトを作るとき
リアルに見せるポイントでしょうね。
東関屋側から構内を見る
左側が中之口川。
両側に貨物ホームと上屋がある。
かつての栄華が偲ばれる。
右の上屋のすぐ向こう側に
先ほどの農業倉庫がある。
架線柱のビームを吊っている
補強のワイヤーが地方鉄道っぽい。
反対側の燕側から構内を見る
こちら側はシンプルです。
Yポイントで左右平等に分岐する。
そろそろ電車が来る時刻、
この場所で待機していると・・・
先ほど土手の上で撮ったモハ14が
燕を往復して戻ってきました。
ポイントマーカー(表示機)について一言
運転士から見て青丸に白一は正位です。
(矢羽といいます)
青丸・白一に白Sが組合せてあるのは
スプリングポイントです。
写真の真ん中がそれですが、
先端レールがバネで押しつけられていて
進入方向では正位(ここでは左側)に、
対向方向ではどちら側からでも走行可。
モハ14はこのままポイントを切換えずに
フランジで押し広げながら通過できます。
ちなみに表示機を上から見ると
矢羽が十字になっていて、
反位に転換したとき(90度回転する)
は黄色のV字です。
上に乗っているマーカーランプは夜間用で
正位が青、反位は橙色になっています。
電球は一つでレンズが4つついています。
ふたたび土手で
まったりと時をすごしていると
モハ21の東関屋行きが到着しました。
土手の上を先回りして
発車を待ちます。
モハ21はポイントの先端レールを
押し広げながら通過し、
去っていきました。
この最後に見送った姿が
自分にとっては新潟交通との
永遠の別れとなりました。
1999年4月4日、
新潟交通は全廃されました。
本日もご乗車ありがとうございました。
当時、地方鉄道が好きで
あちこち出かけました。
いつか、
鉄道模型で再現したいと思いつつ
未だ実現していません・・・
いつか・・・
こういう場合の「いつか」は
たいてい実現しないものです。(?)





















