大阪・北方貨物線界隈 1 | きゅうの鉄道写真館

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きゅうの休憩室から鉄道関係を移設しました。
ドールに興味のない方はこちらで。

関東の正月臨の記事が終わりましたので

同じ正月の大阪へ移動します。

年末から年始にかけて、日付順からいえば

成田より大阪のほうが少し先です。


1989.12.29 青春18キップで大阪を目指しました。

そちらの記事は改めて書きたいと思います。

今回からのシリーズは’90のお正月休み、

大阪の親戚の家を拠点に撮り歩いた記録です。



《北方貨物線界隈》


暗いうちに家を出て東淀川の歩道橋へ行きました。


新御堂の歩道からは宮原客車区が見下ろせます。

まだがらがらで空き線が目立ちますが、

これから続々と夜行列車が戻ってきます。





東淀川の新大阪寄りの歩道橋から

向日町からの雷鳥の回送と銀河をキャッチ。

まだ光量が足りないので、速い雷鳥は流してみます。



大阪駅に到着した後の列車の流れについて。

基本的に電車特急のクラは向日町、客車は宮原になります。

すぐ折り返す電車特急を、いちいち向日町まで回送しては

時間ももったいないので、宮原客車区に隣接して

電車の基地もあります。播但線のはまかぜもこちらでした。

ここで大阪駅と宮原操車場の位置関係をご説明しましょう。

神戸方面と京都方面を直通する貨物列車を

大阪駅を通さずにバイパスさせるため北方貨物線があります。

尼崎から吹田の間、主に新幹線の高架下を通っていますが

宮原操車場はその途中、新大阪の西側に位置します。

大阪駅とは淀川をはさんで対峙し、大阪を発着する列車は

進行方向をそのままに宮原へ行かれるようループになっています。

そのため東海道線と北方貨物線との分岐点には

(塚本の先と新大阪)デルタ線が設けられています。

今回の記事は主に塚本側のデルタ線付近で撮影しました。







東淀川から新大阪を経て塚本方面に移動しますが

途中、宮原操車場の脇を通ります。

さすがに住宅地側にはフェンスがありますが、

高さが低く、1mくらいのコンクリの土台に上がると

フェンスの上から撮れました。

それにあちこち隙間があってレンズを選べばけっこういけました。

操車場西端の踏切からは、出入りする列車や通過列車も撮れます。






きたぐにの回送が通過しました。

北陸線から大阪に着き、ループをぐるっとまわり

北方貨物線経由で向日町に向かいます。



阪急電車も越え、デルタ線に着きました。

デルタと言ってもけっこうおおきく内側にも

住宅や町工場が多くあります。 

その一番奥まで進んだところが今日の撮影地です。

グリコの工場の線路を挟んだ向かい側あたり

現在、田川公園になっているところです。

当時はただの原っぱで、デルタの内側は柵などもなく

いきなり線路だったので撮り放題でした。







あかつきは座席者が登場したばかりのころ。 2枚目の

夜行快速ふるさと四国は貨物機が牽引しているようですね。






ふるさと山陽も全線直流区間しか走行しないのに

交直機が牽引するなど、

機関車のやりくりには苦労した様子がうかがえます。

このころの関西の電車は、

いろいろヘッドマークが付き、楽しめました。







後ろを振り返ると連絡線の土手があります。

こちらも無防備な状態ですのでよじ登ってみるとこんな感じ。

背後がグリコ、手前の空き地が現在の田川公園です。

大阪からの入庫列車が来ました。





本線の合流手前に信号機があり、一時停止することが多く
ちょうど最後尾が目の前に停止します。

とてもおいしい場所でしたね。







臨時の日本海は20系が充当されました。

機関車にヘッドマークがつかないのがとても残念でした。


なはが通過しました。

そろそろ場所を移動することにしましょう。

それにしても夜行列車の多かったこと!

それだけニーズもあったわけですが、

新幹線網の整備、格安の高速バスや航空機の拡大で

夜行列車は徐々にその使命を終えていきました。

ファンとしては寂しい限りでしたし、

旅人としても不便になることと

何より旅情が失われてしまうことが残念でした。

(鉄道会社も商売ですからやむを得ませんが)


北方貨物線界隈の前編はここまで。

後編に続きます。



本日もご乗車ありがとうございました。