こんばんは。
先週末の土日(9/10~)に裏磐梯へ行きました。
夏休みも終わり、観光地もいくらかすいてるかなー
と思って予定を組んだようなわけです。
朝7時半出発ですが、常磐道~磐越道は渋滞なく
お昼前には猪苗代湖に到着。
志田浜の湖水浴場は泳いでる人もいません。
(海水浴に対して、湖なので湖水浴なんですね!)
雲が高くて秋の空でした。
猪苗代湖で少し遊んでから裏磐梯へ上ります。
ホテルの駐車場に車を置き、さっそく
五色沼のハイキングに出かけました。
毘沙門沼です。
さすがに入口の展望台のところは人が多くて
ドールを出せなかったので、少し歩いて
人がまばらになってから撮りました。
あれ? こっちの方が展望台よりいい景色だぞ!
赤沼です。
あれー? あんまり赤くありませんね。
向こう岸の草の根本を見てください。
水の色でなく
草の茎が赤く染まっているところから
赤沼の名まえの由来になっています。
みどろ沼です。
みどろとは? 水がみどろみどろしているのか
ちょっと不気味な名まえですが、
漢字で書くと深泥沼だそうです。
なんだ、泥深いだけか。
このところの大雨や台風の影響は大丈夫かな
と心配していましたが、水源は湧き水なので
それほど影響はなさそうで、安心しました。
ところが遊歩道が倒木で塞がれています。
国立公園なので勝手に処分するわけにもいかず
迂回路が踏み跡でできていました。
倒木を1本片付けるにも、いろいろと
面倒な手続きが必要なのでしょうね。
遊歩道から少し外れて渓流に下りてみました。
(立入り禁止ではないところです)
「おねえちゃん、てぇつないで!」
足元、気をつけるんだよー。
本当はこだまちゃん(小さいほう)よりも
ひかりちゃんのほうが安定が悪いんだけどね。
(重心が高い)
弁天沼です。
毘沙門沼の次くらいに大きいかな。
周囲が開けたので空が広いです。
ドールを入れて撮ると、ピントが景色に合わず
シャープな写真になりません。
ドール無しだと、ほら!
きれいに水鏡が撮れました。
青沼です。
さっきからお気づきの人もいると思いますが
五色沼といいながら、全部同じ水色です。
先々週以来の大雨の影響で地下水脈の
水位が上がったか、大量の雨水が流れ込んだか
原因は知りませんが
沼の水が混ざってしまったようですね。
何週間か前に観たTVのブラタ○リで、
それぞれの沼に流れこむ地下水脈が異なるので
微妙に成分が違い色が変化する、と言ってました。
五色沼を通り抜けた向こうは桧原湖です。
コンパクトにまとまった風景から
パノラマに飛び出した気分。
自然が造りだしたすばらしい演出です。
さて、桧原湖から宿のある五色沼の入口まで
戻らなければなりません。
遊歩道を歩いて帰ると途中で真っ暗になりそう。
バスがあるはず、と探してみたら・・・
あーっ!
ちょうどかわいいバスが行ってしまうところでした。
仕方なく、30分後の普通のバスに乗りましたが
さっきのバスのほうがよかったなぁ・・・ 残念。
ホテルのフロントの横で
ジャンボキティちゃんが迎えてくれました。
なんでキティちゃんが? と思ったら、
ダイワハウス系列のホテルでした。 納得。
ロビーでは、ブライダルのディスプレイや
ワイン・フェアのミニチュアがあって
撮影を楽しめました。
お部屋からは・・・
「ばんだいさん、みえませーん」
うーん、反対側の部屋でした。
まあ、仕方ないです。
なにしろ、予約したのが2週間前
直前割というプランで通常の約半額で
しかも飲み放題までついていました! (^O^)/
ところで今回は車だったので、
欲張って4人も連れて行きましたが
結局写真に撮れたのはいつもの2人だけでした。
翌朝、6時過ぎに毘沙門沼に行ってみると…
誰もいませーん。
さっそくドールを出して昨日のリベンジ。
爆裂火口壁が朝日に照らされ赤く輝きます。
明治21年の噴火で
手前の小磐梯が吹っ飛んだ跡だそうです。
そのとき飛んできた岩や灰で流れがせき止められ
五色沼や桧原湖もできました。
昨日見た桧原湖など、
1年かかって水が溜まったんだそうです。
なんて雄大な話なんでしょうね。
さて今日は会津若松市内に行ってみます。
飯盛山です。
おおお! この階段を登るのかぁ。
右のエスカレーターは250円・・・
歩こうっと!
お城は…と、どこかな?
はーい、ここでーす。
手前の町が燃えている煙を見て
落城した!
と勘違いした白虎隊が自刃したのがここです。
確かに町から煙や炎が上がれば
お城が燃えているように見えそうです。
白虎隊のお墓(だとされている)です。
名物のガイドおばさんが説明しています。
かいつまんで記すと
私のおじいさんがお坊さんで、自刃した少年達を
不憫に思い、夜中にこっそり遺体を集めて
向こうの3本杉の下に墓を作った。
官軍にばれて、掘り返せと命じられたが
拒否して投獄された。 という話ですが…
白虎隊の悲劇は明治2年のことなので
ガイドおばさんの年齢は90~100歳!
さらに何十人かいるガイドおばさんは
皆同じ話をします。
子沢山なお坊さんだったのね。
さらにさらに、30年前にも同じ話を聞きました!!
思うに、4・50年前に観光地にしたときの原稿を
そのまま承継しているのでしょうね。
そろそろひいおじいさんに直した方が良いかも。
さざえ堂でーす。
らせん状に登っていくと、てっぺんに着くと
下りになり同じ所を通らずに、いつの間にか
下までおりている不思議な建物です。
猪苗代湖から、山をぶち抜いて通してきた
灌漑用水の出口もここにありました。
それではお城のほうに行ってみましょう。
三の丸の駐車場に車を置き、正面から入ります。
すごい石垣ですねー。
お堀からの高さは目がくらみそう。
赤い欄干の橋を落とせば、敵は攻め入れません。
重い刀や弓矢を持ってこの石段を駆け登るなんて
昔の武士は大変だったんですねぇ。
戊辰戦争で官軍に敗れ落城した鶴ヶ城は
1874年に取り壊されました。
1965年、天守閣が再建されました。
往時の形に似せて復元されていますが
鉄筋コンクリート造で、
内部は郷土博物館になっています。
(パンフレットより)
飯盛山はどこかなー?
「ありましたー! あそこ!」
さっきはあそこのふもとにいたんですね。
さて、両方から眺めてみたので
そろそろお昼にしましょう。
会津といえばソースかつ丼です。
どこそこのB級グルメみたいな創作ではなく
昔からある会津の味です。
(白虎隊の時代にはなかったと思いますが)
とんかつ定食を丼に盛っただけ?
うーん、そう言われればそうかもしれない。
喜多方には行きませんでしたが
喜多方ラーメンも食べちゃいました。
魚介のダシで、私は好きです。
裏磐梯と会津若松を駆け足でまわった旅でしたが
じつは今週末から会津まつりだったのです。
うーむ、残念でした。
でも、夏休みと連休の狭間ですいていたし
お天気もまずまず。(また台風がきています)
人が少なくて、ドールが撮れたのが何よりでした。