前回の上野駅に続き、
古い写真にお付き合いください。
お小遣いの少ない鉄道少年が
駅のホームから列車にカメラを向けました
ここは西日暮里駅のホームです。
西日暮里は地下鉄千代田線開通時に
山手・京浜東北線との乗換駅としてできた
山手線では一番新しい駅です。
上野駅に出入りする列車の車輌基地は
尾久にあり、上野~尾久間を頻繁に
回送列車が往来していて
写真撮りには好都合でした。
東北の玄関口、上野駅に出入りする列車は
皆ここを通ったのです。
現在、西日暮里駅のこの場所に立つと
東北新幹線の線路擁壁が視界を塞ぎます。
往時の姿をを偲ぶことはできません。
機関車の車体にスローガンが書かれた
写真がありますが、
まだ組合活動が活発な時代で、
ストや順法闘争など過去の思い出ですね。
今、ストライキで電車が3日止まる、なんて
想像もできないですよね。
労働者すべてが団結して、闘って、
成長していた時代です。
次の2枚は鶯谷駅のホームから。
これはEF57型ですが、
当時一番好きな機関車でした。
デッキ付きの車体が力強く
かっこいいなぁ、と思っていました。
フィルムが高価だったので、
EF58が来ると撮らなかったり
今思うともったいない。
デジタルでは考えられないですねぇ。
この3枚は日暮里駅です。
町の風景は時の流れとともに
どんどん変わっていきますが、
駅のホームから見る風景は
それほど変わらない気がします。
こまかく見れば施設も新しくなりますが
どこか雰囲気が残っているもの。
日暮里駅のこの場所は
今でも当時を思い出すことができます。
ところで上の3枚目ですが隅田川貨物駅
から東海道方面へ向かう荷物列車です。
この春、旅客営業が始まり注目を集めた
上野・東京ラインですが、
実は昔からあって列車も通っていました。
あらためて列車密度の濃い運用に
耐えられるように整備しなおしたのが
上野・東京ラインなのですね。
CTCを始めとするコントロールシステム
の充実、信頼性のおかげです。
川口駅に移動しました。
川口のホームの南端からは
ゆるくカーブした東北線がよく見えます。
上の最後の写真の背景は町工場です。
屋根の向こうに煙突のようなものが
写っていますがキューポラといいます。
吉永さゆりの古い映画で有名ですね。
まだ面影が残っていた時代。
蕨駅です。
北側を横切る跨線橋は今でもあります。
グーグルのストリートビューで見たら
そのまんまでした。
ただしビルの谷間に埋もれていましたが!
再び川口駅に戻りました。
今度はホームの北端です。
後ろの象徴的な高層マンション(当時)は
何年か前にはありましたが、今はどうかな
あったとしても、こちらもビルの谷間に
沈んでしまったことでしょう。
脱線しますが、めずらしいものが
写っているので少々解説を。
後ろの森の中の何本かの支柱、
ガスタンクの支柱じゃないかと思います。
昔のガスタンクは円筒形で、中身の量で
伸び縮みする構造になっていました。
写真は量が少なく縮んだ状態。
この町の歴史に詳しくないので
ここにガスタンクがあったかどうか
確信はありませんが、どなたか
ご存知でしたらコメントください。
って、そんな人がこのブログに
目をとめるとは思えませんが・・・
ネットなどない時代、
貨物列車の時刻など調べようもなく
ただホームで待っているだけでした。
それでも1時間もいれば
何本も撮ることができたので
情報が氾濫している現代と比べても
さほど不便も感じませんでしたね。
今の時代、何でもネットで検索できるので
便利なようですが、面白みも感動も
薄くなってしまうかもしれません。
旅に出て、
思いがけない出会いや発見も少なくなり
情報の確認に行くような旅では
つまらないです。
ああ、こんなこと書いていると
また旅に出たくなります。
次回は自転車をこいで出かけた、
利根川の手前、栗橋付近です。
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