父親の背中と僕の背中
今日のブログは、ふと思い出した
僕と父親とのエピソードの記憶を、
あまり考えないままに書くんで、
いつものブログとは違いますの。
ご了承くださいませm(_ _)m
僕の父は、小さな鉄工所をやってて、
僕と父親とのエピソードの記憶を、
あまり考えないままに書くんで、
いつものブログとは違いますの。
ご了承くださいませm(_ _)m
僕の父は、小さな鉄工所をやってて、
でも、あまり職人らしくないタイプの
しかしなかなかの二枚目でしてん。
僕とそっくり~( ̄▽ ̄)いやん♡
『お前はいつも、なによりも、
"面白いこと"を大事にしてるから
たぶんそれはず~っと変わらんし、
家を出て好きに生きるんやろなぁ』
"面白いこと"を大事にしてるから
たぶんそれはず~っと変わらんし、
家を出て好きに生きるんやろなぁ』
小さい頃からそ~言われてた僕は、
「ま、自己責任で好きなことをやれ」
…って方針で育てられましたんで、
ほんと、自由な子どもやったです。
家はあまり裕福じゃなかったのに、
親は僕を東京に進学させてくれて、
かな~り無理してたんやろなあ…
と思いまふ<( ̄- ̄;)
さて。
東京に出て2か月ぐらいした頃。
突然、父親が東京にやってきた。
「友だちに会うついで、に」
…などと
ミエミエの言いわけもそこそこに、
一緒にファミレスで昼ご飯なぞ。
「どんなん?」
「うん。まあまあ」
「あそ」
ま、年頃の息子と父の会話って
そんなもんですわねえ。
そーしたら、父親がいきなり
「一緒に、はとバスに乗らん?」
って言ってきましてん。
「せっかくやから、東京見物に」
「え…」
正直言いますと当時の僕って、
ただただ『東京人』になりたい!
とゆ~ヘンな意識に凝り固まった
とゆ~ヘンな意識に凝り固まった
田舎コンプレックス状態でしてん。
だから、『はとバスに乗る』なんて
"決してしてはいけない"
ことやったのね。
「…僕は、いい」
「あそ」
父はそれ以上なにも言わずに、
僕に合わせてオーダーした、
ぜんぜん食べ慣れてない感じの
ビーフストロガノフを黙々と食べた。
一緒に電車で東京駅まで送った時、
別れ際、父親がもう一回だけ、
「ほんまに乗らん?…はとバス」
と訊いた。
「…うん」
そしたら父は、にま~と笑って
「まあ、楽しめ。東京を、な」
とだけ言って、
乗客の渦の中に混じっていった。
子どもの頃からずっと、
大きいなぁと思い込んでた背中は、
人ごみの中ではすごく小さかった。
その時の父の背中が、
僕が見た、最後の、
"生きてる父の背中"になった。
次に父親の背中を見たのは、
その年の夏の、病院のベッドで。
猛暑の中での重労働で無理をして
バテバテの父は日本脳炎に負けた。
帰省した翌日の僕の目の前で倒れ、
意識が戻らないまま3日で死んだ。
綺麗なパジャマに着替えさせる時、
父の身体を動かすのを手伝った。
その時に見えた父の裸の背中は、
もう血の気が全然なかったけど、
痛々しいほど日焼けしてた。
あの時、東京駅で見えてた背中も、
やっぱり日焼けしてたんやろな~
…と思う。
今春、僕の長男も大学に進学~♪
大学は東京じゃないんやけど、
家を出て頑張ることになりますのね。
「ふふふのふ。GW明けあたりに
いきなり行ってやろ~か( ̄▽ ̄)」
僕はひそかに画策しておるのです。
「で、『一緒に観光バスに乗ろう!』
…と無理やり連れ出してやんねん」
そのために、
まずは、
日焼けサロンで背中を焼こうd( ̄- ̄)
『面白いことを何より大事にする』
息子の将来を見通した父の予言は
見事に的中しましてん。