当事者研究 いじめの後遺症 | ひきこもりの交流分析士高林 希のブログ

ひきこもりの交流分析士高林 希のブログ

発達障害の疑いを持ってます。何となく気づいてしまい、経験したことなどを書かせていただいてます。

ひきこもりの交流分析士高林希ですbatsumaru今回は、当事者研究シリーズをお送りいたしますkittyタイトルは、いじめの後遺症。内容は、当事者研究の結果。過去のブログとほぼ一緒。出来事に対し、どのような後遺症の病が発症したのか。それでは、本編に入らさせていただきますpompom

 

 

当事者研究 いじめの後遺症

 今回はひきこもりの交流分析士が、いじめの後遺症について発信します。過去を遡ると、小学校入学前から始まった。それ以降、母は学校から条件を突き付けられた。さらには、支援をいただいた記憶が残ってた。ここで気づくのは、所属をしてはいけない。私は、無意識にインプットしてしまった。学校でのルールを理解するのに、かなり時間がかかった。集団の中だと、はっきり言って浮いた存在であること。私が抱えている問題のこと、理解できている人とそうでない人の違い。学年が上がっていくにつれて、先生の対応の違いがわかった。得意なこと、苦手なことの凸凹感が半端なかった。当時は、作文が苦手。他にも苦手な部分が多かった。対人関係は、改善するのをやめた。中学校に入ってから、学校が荒んでて、自分の居場所がなかった。不登校は許されず無理矢理行かされた感があった。一時期ですが、病院が自分の居場所になった。当時は脊柱側彎症を抱え、整形外科外来に通って2年が経過。しばらくの間、耳鼻咽喉科と一緒の診察日にして1日休むことができた。修学旅行は、下着の点検される最悪な人権侵害事件だった。地元の新聞社ではありませんが、某新聞社の富山県版か他の面での記事になってしまう。私が知ったのは、20数年後だった。中学卒業までの5年間、脊柱側彎症が安定するまで整形外科に通った。

 ここまでが、過去のブログ以外で書いた内容です。ここからが小学校から中学校時代にかけ、思い出した内容と後遺症の関連になります。関連性に対しての結果は、大いにありました。あれから10年後、これまでにない荒れた生活でした。20年後、職場を2度リストラされ、うつ病への道まっしぐら。普通に生きても、死にたくなるのが当たり前ですね。あれから30年、私は子宮筋腫の重症化を経験した。これをきっかけに、質の良い教育をする機会になればと想います。

 

 

いじめ問題で苦しんでいらっしゃる方へ

 いじめの後遺症を読んで、出たらどうしようと想われるでしょう。防止に努めたいなら、カフェの住人の会のfacebookページにあるMessengerにお送りいただきますようお願いいたしますm(_ _)m不登校問題がある場合、みやの森カフェさんやコミュニティハウスひとのまさん。富山市なら、富山駅前にある星槎国際高等学校さんやYMCA富山駅前センターさんまでお願いいたしますm(_ _)m

 

 

以上で、当事者研究 いじめの後遺症を終了させていただきますkeroppi次回は、ひとのま主の格言をお送りいたします。さてどのような内容になるのか、乞うご期待下さいませ!ウ~ン、エボリューションmymelody