重信房子が講演 | 野村孝博のブログ

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 今年5月に20年の刑期を経て出所した日本赤軍元最高幹部の重信房子が京都市東山区で行われた反戦集会で講演したそうです。ちょっと調べてみましたが、「京都国際反戦デー集会 第16回反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」というイベントのようでした。「『新しい資本主義』に抗し、軍拡・改憲を阻止する大衆運動の構築へ」というテーマが掲げられています。

 

 講演の全文があれば読んでみたかったのですが、記事から抜粋させていただくと「19歳の時に変革の道に歩んできました。多くの戦いの中で過ちもあったし、そして良いこともありました。新しい気持ちでここで再出発したいと思います。」とありましたが、えっ、再出発とか怖いんでやめてください。

 

 「人権侵害の重さを日々体験しながら22年を過ごしてきました。空気をするくらいしか自由がない」とも話し、日本社会について「未熟で人権がない」とも言って、自らも市民運動に参加していくと話したそうです。やっぱりそっちで再出発なんですね。部分的な切り取り記事でない前提ですが、こんなこと言えるというのはどうかと思います。

 

 日本赤軍がテルアビブ空港乱射事件を起こしたのが1972年、当時私は生まれておらず、割と最近になって知った話ですが、3名の実行犯が自動小銃で旅客ターミナル内の乗降客や口腔内の警備隊に向けて無差別に乱射、死者26名、負傷者73名という大変なテロ事件です。日本人が外国でそんな事件を起こしたなんて、初めて知ったときはかなりの衝撃を受けましたし、ちょっと落ち込んでしまいました。さらに、他にもたくさんの事件を起こして、投獄されたわけです。自由にさせて置いたら、そんなことをしでかすわけですから、自由を制限せざるを得なくなるでしょう。一方で、服役中に癌を患い、治療を受けた上での出所です。治療にあたった方々からすれば、「人権がない」なんて言われる筋合いはないでしょう。

 

 これが「反戦・反貧困・反差別共同行動」の集会だというのですから、どうなんでしょう。世が世なら、テルアビブ空港の事件がきっかけになって戦争が始まってもおかしくないような事件だったのではないかと思います。どこをどうしたら、こうした行動に大義を見いだせるのやら、ちょっと興味があるので掘り下げてみたくもなりました。先日、ひろゆき氏の座り込みについての番組に出ていた方が、「非暴力を目指す活動の中の暴力だから暴力ではない」なんてことを言っていましたか、それに近い思考なのかもしれません。自らが主導したテロ行為の犠牲になった方々への思い(「過ちもあった」のところがそうなのかもしれません)が感じられないことが恐ろしいです。