のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~ -22ページ目

のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 仏教寺院のようになってしまった「京都市美術館」

                    (現・「京都市京セラ美術館」)

 

 

 

        稲盛さん!これだけは許せない

 

    京セラを創業された稲盛和夫氏が逝去された。戦後の

   日本経済界をリードされた稀有の経営者であったことは

   誰もが認めるところです。一方で仏教に帰依され、数多

   の含蓄ある言葉を残されました。

 

   しかし私には、ただ一点、許せないことがあったのです。

 

 

 

 

 

    それを書く前に、報じられた新聞記事を一部、引用させてもらいます。

                       (産経新聞8月31日付から)

 

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    【1面】 稲盛和夫氏 死去

             90歳 京セラ創業、日航再建

 

 京セラとKDDIを創業し、経営破綻した日本航空の再建にも尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫(いなもり・かずお)氏が24日、老衰のため死去した。90歳。………

 昭和7年、鹿児島市生まれ。京都の碍子メーカー勤務を経て同34年、27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業した。現在も半導体やスマートフォンの部品に使われる新素材「ファインセラミックス」の開発を成功させたことを契機に業績を急成長させ、電子部品や通信機器、太陽光パネルなどを手がける世界的な企業に育てた。………        

 

   【3面】 評伝  稲盛氏 心を重視 経営の神様

 

 24日に死去した稲盛和夫氏は一代で京セラを売上高1兆円超の世界的企業に育て上げた。KDDIの設立や、日本航空の再建も手がけるなど、「経営の神様と評されるようになっていく過程で、稲盛氏は次第に「心の経営」に傾倒していった。

 それを表す一例が「人生や仕事の結果は、熱意と能力と考え方の掛け算である」という「人生の方程式」。「熱意」と「能力」は0~100点まであるのに対し、考え方はマイナス100~プラス100点まである。たとえ能力が劣っていても、熱意があればカバーできるとした。

 しかし、「考え方」が正しくなければ、決して良い結果は得られない。むしろ能力、熱意があるだけに、社会には大きな害になると説いた。それほどまでにこころの姿勢を重視した。

 M&A(企業の合併・買収)や第二電電(現KDDI)の設立など重要な意思決定の際は、必ず「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答を繰り返したことで知られる。

 一方、稲盛氏の大きな功績に人類社会の進歩発展に顕著な功績のあった人を顕彰する「京都賞」の創設がある。「世のため、人のために生きることが、人間として最高の生き方である」との考えのもと、保有していた現金や京セラの株式など計200億円を拠出して昭和59年に「稲盛財団」を設立した。

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                   (記事中の青は、のむらりんどうによる)

 

 

 

                     

 

 

 ところで、私は稲盛氏に直接お会いしたことはありません。しかし、講演会でご尊顔を拝したことがあり、すばらしい人であったという印象は今も脳裏に焼き付いています。

 

 そんな稲盛氏に対して、私が以下のような文章を書こうとした動機は、私の心のなかに「尊敬」と「憤慨」が交錯しているからです。

 

 <評伝>の記事には、このように書かれています。

 ➡ 「考え方」が正しくなければ、決して良い結果は得られな

   い。むしろ能力、熱意があるだけに、社会には大きな害に

   なると説いた。

 ➡ 「動機善なりや、私心なかりしか」

 

 これは、稲盛氏がいつも「自問自答」されてきた言葉だそうです。立派な心構えだと敬服します。ところが、以下に説明します「京都市美術館改修に伴う命名権」利用問題で大きな過ちを犯された、と私はずっと思ってきました。

 

 

 私は過去、私のこのブログで問題提起をしました。

  < ♦ニュースから(14) 「京都市美術館」→

   「京都市京セラ美術館」に名称変更 平成日本あゝ! 

 

 それは、「稲盛氏たる人が京都市民に対し、とても首肯しかねる

 行為をしてしまった。許されることではない」と。

 

 そこから導き出される結論は、稲盛氏自身の自問自答とは真逆の動機善とはいえず、私心大いにありとしか思えないのです。

 

    <♦ニュースから(14)>を読み返してもらえば

      理解していただけるはずです

 

 

 京都市は美術館改修費用の捻出で「命名権」なるものを持ち出し、結果、京セラが「50年間・50億円」で買い取ったのです。――私は、その額の多寡を問題にしているのではありません。命名権によって企業名を付与することは「京都の文化」を破壊する行為です。ご本人は他人には出来ない良きことをしたと考えられたのでしょうが、そうではないのです。一実業家の「私心」でしかありません。<注=名義解消まであと44年も続くのです

 

 

                     

 

 

 私は京都に生まれ、歴史ある「京都」を思うこころは誰にも負けないつもりです。「命名権を利用すれば良いのでは」と考える浅はかな人間(京都市吏員)がいて、このような愚策が出現したのです。改修費が不足するなら、京都市民をはじめ全国に呼びかけて「寄付」を募るべきでした。

 

  文化財を守るためには、その他いろんな方策が考えられます。

 

  たとえば 京都市・岡崎にある「平安神宮」

           その創建由緒にはこう書かれています。

 

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         創建   明治28年3月15日 皇紀2555年 西暦1895年


 平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。
 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。
 その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。
 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。
 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。
 その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。

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 そうなんです――平安神宮はこのように、市民の熱意によって生まれました。遠く平安時代に創建されたものではなく、明治の東京奠都後に創建されたのですが、その後、神宮を護持するために関係者や市民が知恵を絞りました。一般からの奉納金とは別に、京都市内に住む各家庭は町内会を通じて毎年、たしか200~300円を寄付することにしたのです(私も京都を離れるまでずっと寄付を続け、今現在も京都に帰れば神宮に立ち寄って、いくばくかの寄付をします)。これが京都人の心意気です。

 

 もしこれが、命名権を採用して、平安京セラ神宮などという名称になれば“市民の反乱”が起き、京セラへ殴り込みに走る者が出るかもしれません。現在の状況は、市の文化財保護に対する知識・知恵不足としか言いようがありません。

 

 

 そして私が驚いたのは、改修された美術館の表玄関が、まるで仏教寺院のようになってしまったことです。

 

 もし、稲盛氏に心があれば、こんなことはしなかったでしょう。最善策は頼まれても「命名権」を辞退し、出来る限りの寄付をすればよかったのです。「自分はそんなつもりでしたのではない」と言われるかもしれませんが、結果的には「動機善とはいえず、私心大いにあった」ということになるのです。

 

 

                     

 

 

 文化に誇りを持つイタリアやフランスでは、「命名権」を策すなどは絶対、考えられないことです。たとえば、

 

    「ウフィツィ美術館」が、

    ウフィツィ・フェラーリ美術館 になったり、

 

    「ヴェルサイユ宮殿美術館」が、

    ヴェルサイユ宮殿・エールフランス美術館

 

 また、アメリカでも、

    「ボストン美術館」が、

     ボストン・マイクロソフト美術館 に、

 

             なることは、ありえない。   

                       

 このような行為は、

   文化に対する日本人の底の浅さと笑われているはずです。

 

 

  もし、稲盛氏が京都人なら、このような

 ことは考えなかったでしょう。残念です

 

 

 

    

     「京セラさん 京都市美術館の名前を奪わないで」

             と訴える市民ら

 

 

 

                    (記 2022.9.4 令和4)