「自他」という意識は
この世の個別の肉体から生じるものです
肉体を離れた宇宙の意識はひとつです
したがって、この世では
「他人の意識」も「自分の意識」として
意識しなければなりません
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先日の朝日新聞(2022年11月5日付)の朝刊3面「ひと欄」に、明るいニュースが載っていました。
ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮によるミサイル発射、旧統一教会問題、ハロウィーンに伴う韓国での群集雪崩事故……。暗いニュースがつづくなか、ほっとする記事に出合ったのです。
(記事を引用させてもらいます)
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(ひと)
元暴走族総長、400人を受け入れた更生保護施設理事長
くどう りょう
工藤 良さん(45)
非行少年少女らの自立や就労を手助けする「田川ふれ愛義塾」(福岡県田川市)を運営している。定員は男子10人、女子4人。「行き場のない子どもを支援することで、昔の自分を自分で救っているのだと思う」
小2のときに両親が離婚。寂しさから生活は荒れた。「悪(わる)そ」(不良)の先輩たちと仲良くなって中2で暴走族に。後に総長となり、爆音を響かせて走った。
覚醒剤事件で逮捕されたことが転機となった。22歳。留置場で自省した。「仲間たちを悪くしたのは自分だ。妻と幼い娘の将来も壊そうとしている」。面会に来た妻に「あと1回だけチャンスを」と頼み込んだ。出所後、暴走族を解散。ボランティア団体を結成してごみ拾いなどに取り組んだ。
2004年、自宅の一室を開放し、非行少年らと共同生活を始めた。翌年には今の施設近くの借家に。09年に国の認可を受けた。自宅の時代から合わせると、受け入れは400人を超す。
かつては「ヤンキー」が多かったが、発達障害など複雑な事情の子どもが増えている。実の父親から小6のときに覚醒剤を打たれ、性的虐待を2年間受けた少女。小3で体を売り、給食費を払っていた少女……。「今、大人たちが本当に試されている」
犯罪を1件でも減らすためにも少年少女たちに寄り添いたいと考えている。
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なかなか出来ないこと。気持ちが温かくなる記事です。
「行き場のない子どもを支援することで、昔の自分を自分で救っているのだと思う」
現実を救うという行為に対し、称賛の言葉は尽きないでしょう。さらにそれとは別に、「行き場のない子どもを支援することで、昔の自分を自分で救っているのだと思う」という工藤さん自身の“気づき”が、人生においていちばん大切なものだったのです。
すばらしい――。このような、温かい記事と出合うことは昨今、めったにありません。殺伐とした世相のニュースに加え、コロナ禍で委縮している人間の心の裡に溜まった縮痾が原因なのでしょう。読むほうも、書くほうも。
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ところで、この記事を読んで
私は子どもの頃を思い出しました。
このブログのテーマのひとつ「自分史(私のこと)」にすこし書きましたが、私は3歳のときに母親を病気で亡くしました。その後は、年の離れた姉が郵便局に勤めながら(結婚してからは義兄とともに)育ててくれたのです。
それからずいぶん時間がたち、半世紀を経た頃のことです。私は墓参りに出かけた墓所で、幼いころ近所に住み一緒に遊んでいた年上の女性と出会ったのです。おたがい容姿はすっかり、じいちゃん・ばあちゃんになっていました…。そして、しばらく雑談を交わすうち、彼女の口からこういう言葉が発せられたのです。
「立派になられて……。子どもの頃、私の家ではあなたのことをこう言っていました。『親のいないあの子は将来グレて、きっと不良仲間の世界に入るだろう…』」と。
それを聞いた私は、「うーん」と唸りました。考えもしたことのない言葉でした。「しかしそれは、一生懸命私を育ててくれた姉に対する侮辱であり、心無い言葉ではないか」と思いました。反論しようとしましたが、それは彼女自身の言葉ではなく、「親が言っていた言葉」をなにげなく口にしたのでしょう。当時の世相を考えれば、むべなるかな。世間ではそのように見られることが多かったのかも。
たしかに昭和の中頃に至っても、親のいない子は就職が難しく理不尽なことが散見されました。新聞の投書欄では『片親の家庭で育ち、就職が出来ない』という記事も目にしたことがあります。
しかし世の中、そんな心の狭い企業ばかりではありません。私はそのような偏見には耳を貸さず、胸を張って正々堂々、試験を受けて新聞社に就職しました。当時、高校の担任がいつも口にされていた言葉を今も忘れません。「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」。上杉鷹山の言葉です。
人生の途次で親を亡くしたり失ったりしたものの、身近な人に育てられて頭角を現した人はこれまでに幾人もいます。芥川龍之介も、梅原猛先生もそうですね。
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工藤さんの活躍と
「田川ふれ愛義塾」の発展を願わずには
いられません。
(記 2022.11.8 令和4)