司書の生活苦は理解するものの
鈍い動作にイライラが!
「図書館の労務問題」について
朝日新聞に次のような記事が掲載されました。
(2022年11月28日付 朝刊「生活面」から引用します)
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手取り9万円台… 非正規司書の悲鳴
先代の知恵を次世代に継ぎ、新しい世界との出会いの場でも
ある図書館。その場所を支える職員の多くが、非正規で待遇が
良くないことを知っていますか。いま、ある司書の「叫び」が
注目を集めています。
■多い女性 「図書館愛あっても生活苦」
待遇改善求め 7万人署名
「手取り9万8千円で働く非正規図書館員です。図書館の今を知り、未来のために署名をいただけませんか?」
オンライン署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」で8月、雇用年限の撤廃や最低賃金の引き上げなどを求める署名が始まった。呼びかけ人は中部地方の20代の女性司書。1日7時間、月18日ほど働き、年収は150万円程度という。「一人暮らしはとてもできません。実家で細々と暮らしています」「服はシーズンに1着。お金が無いので弁当を持って行って、外でジュースなんて飲みません」と訴える。
11月までに7万人以上の署名が集まり、関係者らが7日、要望書と共に文部科学省や総務省に提出した。
東京都内の公立図書館に務める司書の50代女性は、署名提出の場に駆けつけた。「一生懸命働いても、自立すら難しい状態を何とかしたい」
この女性は週4回、1日7時間45分働き、月収は手取り18万円程度。低賃金の背景には、「家庭内で男性が稼ぎ、女性は扶養家族になるという前提があるのでは?」と感じてきた。文科省の調査によると、4万3865人の図書館員のうち、約8割が女性。さらにそのうち約8割が非常勤もしくは指定管理者の職員だ。「国は同一労働同一賃金、男女間賃金格差解消を掲げている。仕事にふさわしい賃金と待遇の改善を求めたい」と話す。
署名に賛同した東京都の司書の40代女性は、職場を去った同僚たちの言葉を思い出した。「司書の仕事は好きだけど、この給料では一人で生きていけない」「家族を養える仕事に就かなきゃ」と話していた。
女性自身、転職を考えたこともあった。「図書館への情熱や愛情があっても、生活は苦しい。どうか、安心して働かせてほしい」
文科省によると、司書の数などは把握しているが、賃金や待遇は調べていない。要望を受け、待遇面を含めた調査ができるか検討するという。
■減る正規職、「新制度」逆行の動きも
非正規公務員問題に詳しい立教大の上林(かんばやし)陽治特任教授によると、地方自治体はバブル崩壊後、財政が悪化し、人件費を削るために正規公務員を減らし、かわりに非正規職員を採用してきた。特に動きが目立ったのが、図書館司書や保育士、文化行政など。「専門知を高めても良い待遇を得られない。能力がないから正規になれないのではなく、正規の職がないのが現状だ」と指摘する。
非正規公務員の待遇を巡っては、「官製ワーキングプア」として社会問題化。処遇改善などのため2020年度から、すべての非正規公務員をボーナス支給の対象にする「会計年度任用職員制度」が始まった。ボーナスの支給分は、国から交付金が出る。
だが、総務省の2020年の調査では、約4分の1の自治体・団体でボーナス支給のかわりに月額の賃金を減らすなど、目的と逆行する実態が明らかになった。「パート化」も進んでおり、制度移行前の16年のフルタイムの非正規公務員は約20万人、パートタイムは約44万人だったが、移行後の20年には、フルタイムが約14万人、パートタイムが約55万人となった。
上林氏は別の問題も指摘する。正規職の公務員は、一定期間でローテーションし、各部署を経験させるのが一般的で、専門資格を生かして働き続けることが難しい。「専門知識が必要な公共サービスを非正規に依存する仕組みから脱却すべきだ」と話す。
■本と人をつなぐ場、高度化する専門性
公共図書館の数は、1991年の1984から2021年には3316と、増え続けている。だが、都留文科大学の日向(ひなた)良和教授(図書館学)によると、正規職員としての採用は「毎年100人ほどと言われる狭き門」だという。
司書には、どんな役割があるのか。日向教授によると、地域の公共図書館の場合、地域の特性に合わせて本を選び、子どもから大人まで様々なニーズに応えることが求められる。ネットに玉石混交の情報があふれるいま、どの情報が信頼できるか、紙媒体と比較して適切に助言する役割もある。「最新の情報を勉強し続けなければ、接客すらできない。図書館員の専門性は高度化しています」
学校司書であれば、子どもと本をつなぐ役割もある。「本の話や相談にのってくれる『図書館の先生』を通じて本が好きになることもある。将来、本を読むかどうかにも関わる」
特に地方では本屋も減っており、公共サービスとして本の宅配や移動図書館、電子書籍の整備なども求められる。「どこに住んでいても、何歳になっても、学ぶ場にアクセスできる環境は、民主主義において重要。それを支えているのが図書館であり、司書。署名をきっかけに、司書の待遇の問題にももっと目を向けてほしい」と話す。
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ふむふむ、なるほど――。深刻な状況であることはじゅうぶん理解します。しかし、これを読んで「よし、なんとか手助けをしたい!」という気が、どうしても私には起こらないのです。
最近の、私の身近な話を聞いてください――
私のマンションから歩いて1分のところに都立の図書館があります。本好きの私にとっては、ほんとにありがたい存在です。
毎日ではありませんが、夕刻になるとそこへ出かけ、わが家で取っている新聞以外の新聞を読み、週刊誌にも目を通して自身の涵養に努めています。
一方で我が家には、週に1~3冊の新刊・古本をアマゾンや郵政のオニイサン方を煩わせて、近隣から、はたまた県外から届けてもらっています。
まあ、歳も歳だし、他人との交流も減ってきているので、それほど古今東西の歴史や哲学、それに直近の出来事に関する“解説”まで知らなくても、生活には何の不都合もないわけですが、「本」はまさに、私を育て、ゆたかにする“石清水”のような存在なのです。
というわけで、きのうも夕刻、いつものように図書館に足を踏み入れました。見たところ、(この時間は「子どもコーナー」あたりに母親と子どもが多いのですが)一般客はまばらです。
こんな状態で並んでいます…
で、さっそく <一般雑誌・週刊誌・月刊誌のコーナー>に向かいました。そこは15畳くらいの広さがあり、10人くらいは優に座れるソファがしつらえられています。目を遣ると、3人が座っており、一人が週刊誌、あとの二人は単行本か新書版のようなものを読んでいました。
「さて、何を読もうか」と収納棚に目をやると、一般雑誌や月刊誌は揃っているのですが、なんとなんと「週刊誌」が一冊もありません。
「ええっ、週刊誌はどこへ行った?」
あたりを見回すと、すぐそばの閲覧台で新聞を読んでいる人が1人、あとは少し離れたところで書架の本を眺めている2人がいるだけ。夕刻はいつもこんな感じです。
週刊誌に関しては、この図書館には、
「週刊文春」「週刊新潮」「週刊現代」「週刊ポスト」
「週刊朝日」「サンデー毎日」「AERA(アエラ)」
「週刊金曜日」などがあり、ほかに
「週刊エコノミスト」「週刊ダイヤモンド」「東洋経済」
「日経ビジネス」など経済・ビジネス誌があるのですが…。
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そこで、すぐさま入り口近くのカウンターに向かいました。そこには3人の若い女性司書が椅子に座っています。近づくと、マスクの上に見えている目がいっせいに私をとらえました。
すぐさま私は「雑誌コーナーには週刊誌が8冊くらいあるよねぇ。1冊は男性が読んでいて、あとの週刊誌がまったく見当たらない。周囲に人はおらず、どこに消えたのだろうか?」と問いかけたところ、3人は互いに顔を見合わせて「ポカーン」。
カウンターに“来客”はおらず、手持ちぶさたの様子。司書は席に座ったままで、私の問いに立ち上がることもなく、誰ひとり“その様子”を見に行こうともしない。
そして、ひとりがこう言い放ったのです。
「ひょっとして、向こうの閲覧室(自習・勉強室)に誰かが
全部、持って行ってるのかも?…」
回答はそれで終わり。
そこで私がさらに言いました。
「えっ。いま雑誌コーナーで一人が1冊読んでるから、残り
の7冊全部を誰かが持って行ってしまっているというわけ?
そんなの許されるの?」
「ええ、そういう人もいます」
「そんなに独り占めしたら、他の人が読めないじゃない?」
「まあ、そういうことですね」
結局、これで終わり。
誰ひとり“その状況”を確認すべく、閲覧室まで見に行こうともしない。
あいた口がふさがらない、とはこのこと。いまの司書の感覚はこんな程度なのですかね。
私が図書館を利用し始めた小学生の頃、司書さんにこう言われた記憶があります。「本や漫画を書棚から借り出す時は一冊にしてくださいね。一度にたくさん本を持ち出すと、他の人が読めなくなるから。一冊を読み終わったら、いちど書棚に返してから、新しい本を持ち出してくださいね。ただし、歴史の勉強などで、別の(出版社の)本と見比べるときなどはかまいませんよ…」
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さて――。私は定年前の数年間、新聞社の図書室(小ぶりの図書館)でレファレンス業務(記者の要望に応じた資料検索・提供・回答)を担当した経験があります。
「あの事件が解決した!」「有名人が急死した!」といった際には、「過去の記事や写真を急いで集めて欲しい」という記者からの要望がきます。それに応えるため、私たちは大忙しで室内を駆けまわっていました。
新聞社はなんといっても時間との勝負です。じっと椅子に座っている場合ではありません。過去の記事や写真、新聞製本や関連する本などを書棚や引き出し、あるいは資料箱や倉庫まで探しまわることもありました。
そして、その過去の記事や写真が「新たな記事」の一部になって役立った時は、記者ともども嬉しくなったものです。言うまでもなく、仕事が終わった後のビールの美味かったこと。それがプロというものではないでしょうか。
街の図書館を新聞社と比較するのは適当ではありませんが、来館者(客)が意図する要望にきちんと応えているか、自問自答していただきたい。司書さんの待遇はこのままでいいとは決して思いませんが、私の経験からすれば、もう少し「てきぱきとした動き」がほしいものです。カウンターの椅子に座っているだけでなく、問題を指摘されれば即座に館内の“現場”に走って調べる行動力が必要です。
Web(ウェブ)の時代です。借りたい本は家庭内のパソコンから“注文”する時代になっています。あっという間に「司書の仕事」がなくなるやもしれませんよ。
(記 2022.12.1 令和4)