新聞の広告欄に、こんなのがありました。
「週刊現代」2012/12/3号
人間なんてそれでいいじゃないか
ズボラのすすめ
70歳を過ぎたらダラダラ生きる
夫婦仲は悪くていい/カネなんてどうにでもなる/面倒く
さい人とは縁を切る/開き直って「お荷物」になる/年賀
状は5枚でいい/ムダに規則正しい生活はすぐやめなさい
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そこで、その「週刊誌」をちょっとのぞいてみると、たしかに「ふん、ふん」という感じ。そして、新聞に載っていた言葉に加えて、もうひとつ別の言葉がついていた。
夫婦仲なんて悪くていい
/死ぬまで頑張らなくても
カネなんてどうにでもなる
/子や孫より自分の生活
年賀状は5枚でいい 面倒くさい人とは縁を
切る /義理や惰性で付き合わない
開き直って周囲の「お荷物」になる
/見栄はいらない
「いい人」でなくていい
ムダに規則正しい生活はすぐやめなさい
/「断捨離」もしなくていい
ちょっと刹那的ではありますが、その通りかも知れません。
歳のせいでしょうかねぇ。最近はとくにそんな風に思うこと
も多くなりました。
やれやれ!
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そんなことに思いを巡らせながら夜の10時になったので、日本テレビの「カズレーザーと学ぶ」を観ました。物知りのカズレーザー。いつ観ても面白い。
いくつかのテーマがあるなか、この日はアマゾンの先住民である「ピダハン族」のことが取り上げられていました。
アマゾンをはじめアフリカやオーストラリアの先住民らについては、私はたいへん興味があります。そのような番組を見つけると、何はさておき必ず観ますね。
さて、驚いたのは、ピダハン族には「時間」や「神」などについて、現在の私たちのような概念がないということでした。びっくりしましたね。彼らについての知識がある人にとっては当たり前のことなのでしょうが…。
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そこで以下に、フリー百科事典『ウィキペディア』から
その一部を引用させてもらいます。
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ピダハン族は、ブラジルのアマゾン熱帯多雨林の先住民である。彼らは、ムラ人の唯一の生き残っているサブグループであり、そして狩猟採集者である。彼らは、主にアマゾナス州のウマイタとマニコレのマイシ川の岸に住んでいる。2018年現在、彼らは800人いる。
言語人類学者のダニエル・エヴェレットに、
ピダハン族は、ジャングルでの継続的な生存を確保するのに必要なあらゆる方法が最高に恵まれている。彼らは、自分らの地域のあらゆる重要な植物の有用性と場所を知っている。彼らは地元の動物の行動とそれらを捕まえ回避する方法を理解している。道具や武器なしで裸でジャングルに歩み入り、3日後に果物、ナッツ、小さな獲物のバスケットを持って歩み出ることができる。
ピダハン族はピダハン語を話す。ピダハンのメンバーは自分の言語を口笛で吹くことができ、これは、ピダハンの男がジャングルで狩猟をするときにコミュニケーションをとる方法である。
文化
ピダハン族の文化は直接的個人的経験に含まれる問題のみに関係しており、そして生きている記憶以外の歴史はない。ピダハンは、単純な親族体系を持ち、それに含まれるのは、baíxi(親、祖父母、あるいはもっと年上)、xahaigí(同胞、男あるいは女)、hoagíあるいはhoísai(息子)、kai(娘)およびpiihí(継子、お気に入りの子、少なくとも1人の親が死んでいる子、とそれ以上)である。
ダニエル・エヴェレットは、最強のピダハンの価値の1つはけっして威圧ではない、と述べている。単に他の人に何をすべきかを教えない。社会ヒエラルキーはないように見えるし、ピダハンには正式な指導者がいない。この社会システムは、世界の他の多くの狩猟採集のバンドに似ているが、西洋との接触前の園芸の歴史のためにアマゾンにおいてはまれである。
ピダハン族は毎日カヌーを使って釣りをしたり、自分の住んでいる横の川を渡ったりしているが、カヌーがすり減ると、樹皮片を一時的なカヌーとして使うだけである。エヴェレットは、ピダハン族がカヌーを作る際に教え監督したマスタービルダーを連れてきて、自分たちで作ることができるようにした。しかし、別のカヌーが必要になったとき、彼らは「ピダハンはカヌーを作らない」と言い、エベレットに、あなたがわれわれにカヌーを買うべきだ、と言った。ピダハン族は近隣のコミュニティーのカヌーの仕事に依存しており、それらカヌーを自分たちで使用している。
ピダハン族は、数少ない鍋やフライパン、ナイフ、マチェーテを保管する簡単な小屋を建てる。彼らは(矢じりを作るための)削り道具、ゆるく織られたヤシの葉の袋、弓、そして矢だけを作る。彼らは15分ないし、最大で昼夜2時間連続のうたた寝をし、夜通し眠ることはめったにない。
彼らは食べ物をどんな量でも保存しないが、一般的に彼らがそれを手に入れたときそれを食べる。ピダハン族は、塩漬けや燻製によって肉を保存する教訓を無視してきた。彼らは、吐き出された種子から成長するマニオク植物を栽培し、一度に数日分のマニオク粉を作る。彼らはブラジル・ナッツとセックスを、消耗品と道具、たとえばマチェーテ、火薬、粉ミルク、砂糖、ウイスキーと交易する。純潔は文化的価値ではない。彼らは、ブラジル・ナッツ、木材、ソルバ(チューインガムに使用されるゴムの樹液)を、ネックレスに使用されるソーダ缶のプルタブと交易する。男は、交易者から入手したTシャツとショーツを着用し、女は自分の無地の綿のドレスを縫う。
装飾は主にネックレスであり、主に精霊を防ぐために使用される。線描するという概念は彼らにとって異質であり、人、動物、樹、または川を描くように求められるとき、結果は単純な線である。しかしながら、飛行機のような新奇なものを見ると、子供はそれのモデルを作るかもしれないし、それはやがて捨てられるかもしれない。
エヴェレットによれば、ピダハン族には最高の精霊あるいは神の概念がなく、彼らは、エヴェレットがイエスを見たことがないことを発見したとき、イエスへの興味を失った。彼らは、なされるあらゆる主張に、個人的な経験に基づく証拠を要求する。しかしながら、彼らは、環境の中で物事の形をときどきとり得る精霊の存在を信じている。これら精霊は、ジャガー、樹、または人を含む他の可視、触知可能な物であることもある。エヴェレットの報告によれば、ピダハン族は、雲より上に住む存在の一つ『Xigagaí』が浜辺に立ち、われわれに向かって、もしあなたたちがジャングルに入るならば殺すだろう、と叫んでいる、と言った、いち事象がある。エヴェレットと彼の娘には何も見えなかったが、それでもピダハン族は『Xigagaí』がまだ浜辺にいると主張した。
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(文字の色彩は、りんどうによる)
いやはや、「神」や「精霊」といった既視感のないものには
その概念が生まれず、ジャガー、樹、または人を含む他の可視、
触知可能な物に「精霊」を見る、ということなのですね。では、
霊長類といわれるわれわれ現代人が思想する「不可視」の空想・
概念をどう理解すればいいのでしょうか。
あらためて、
人間とは何か、ということを考えさせられます。
やはり、それは意識にもとづくものなのでしょうが。
興味ある番組でした。
(記 2022.12.7 令和4)