「感性」と「人権」を
ごちゃ混ぜにするマスコミの愚
先日来、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、
トランスジェンダー)の“同性婚問題”にかかわる発言で、
政界やマスコミは上を下への大騒ぎ。
「差別発言だ!」「人権侵害だ!」――と。
私としてはそんなに騒ぐ話かな、と思うのですが、
荒井勝喜首相秘書官は絶対許せない「悪人」なので
しょうか? いえいえ、そんなはずはない。とどの
つまりは、最高学府まで出ていながら世情を読めな
い “バカな人”だったということで済む話でしょう。
ごめん。
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ではここで、“差別発言”とされたその間の事情を
朝日新聞朝刊1面(2023年2月5日付)から引用します。
(要旨)
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差別発言、秘書官を更迭
首相の同性婚答弁巡り「隣に住むのも嫌」
岸田首相は4日、性的少数者や同性婚をめぐって「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと差別発言をした荒井勝喜・首相秘書官を更迭した。
首相は出張先の福井県坂井市で記者団の取材に対し、荒井氏の差別発言を批判し、「性的指向、性自認を理由とする不当な差別、偏見はあってはならない」と強調。その上で「多様性が尊重され、全ての方々の人権あるいは尊厳を大切にし、共生社会の実現に向けて取り組んでいく」と述べた。任命責任は「当然、感じている」とした。
首相は同性婚の法制化をめぐり、1日の衆院予算委員会で「社会が変わってしまう課題」と答弁していた。複数のメディアによると、荒井氏は3日夜、官邸で首相答弁などについてオフレコを前提にした取材に応じた。性的少数者や同性婚について、「見るのも嫌だ」「秘書官室もみんな反対する」「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」といった趣旨の発言をした。
岸田政権では昨年8月の内閣改造に合わせ、「LGBTには生産性がない」などとする月刊誌への寄稿などが問題視されていた自民党の杉田水脈(みお)衆院議員を総務政務官に起用した。昨年12月、事実上更迭したものの、性的少数者の認識をめぐって、批判が集まったばかりだった。
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(注:カラー文字は、のむらりんどうによる)
さて、これを読むと、岸田首相はこう言っています。
⇒ 荒井氏の差別発言を批判し、「性的指向、性自認を理由
とする不当な差別、偏見はあってはならない」「多様性
が尊重され、全ての方々の人権あるいは尊厳を大切にし、
共生社会の実現に向けて取り組んでいく」…と。
このような叱声は、「当然のこと」で
しょう。
だから、荒井氏を更迭したのです。しかし、ですよ。
その数日前には首相自身が次のような発言をしてい
ます。
⇒ 首相は同性婚の法制化をめぐり、1日の衆院予算委員会
で「社会が変わってしまう課題」と答弁していた。
いやはや、「身も蓋もない」とは、このようなことをいうのでしょう。首相は、「多様性が尊重され、共生社会の実現」という建前と、「社会が変わってしまう」という本音を使い分けているとしか考えられない。真逆の言葉をあやつる現実を見れば、首相自身の葛藤がいかに大きいか、同情を禁じ得ない場面です。
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この問題については、首相自身の心の中にいまだはっきりと「判断しきれない」部分があるのでしょう。そのことについては、私も十分に理解できます。
そして、同じ紙面の「社説」には、こういう箇所がありました。
首相は……野党議員から同性婚法制化への賛否を問われ、慎重な検討が必要な理由として「すべての国民にとって、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と述べたことが、「社会はすでに変化している」「人権への配慮がない」などと、SNS上などで批判を浴びた。
そうなのです。ここをしっかりと押さえなければなりません。「すべての国民にとって、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と述べた首相の発言は、間違ってはいません。したがって、それを「人権への配慮がない」などと批判する者こそ尋常ではないと私は思う。
それは、「まともではない家庭」が”増産”され、「家庭の概念」が根底から崩壊してしまうことなのです。そのことを、私のこのブログ<★誤った同性婚問題>2 「疑似婚」を「正式婚」とする札幌地裁判決の愚②完>で示しました。
つまり、具体的には
▼「男親・女親、そして男子や女子の子供たち」
が生活する(現状の)一般家庭のほかに
▼「男親・男親(女役)、男の子<養子をとった場合>」
あるいは
▼「女親・女親(男役)、女の子<養子をとった場合>」
の“家庭”が次々と加わってくるのです。
それはすでに始まっており、一部の自治体で
現実に誕生しています。
こんな“家庭“をどうして容認出来ようか。そ
れは何も知らず”養子”にされる子どもたちに対
する人権侵害ではないのか。私はそう思う。
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そこで、私の「言い分」です。
<問題1>
“差別発言”をしたという荒井首相秘書官。彼は性的少数者(LGBT)に対して積極的に「差別をする」という意識は希薄であったと思われます。ただ、「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」という発言は、官僚としてあまりにも不用意で、バカだと言われても仕方がありません。「生物としての感性」で、自分は「彼や彼女らとは波長が合わない」という感覚を言ったのでしょう。
人間同士、他人を差別することは決して許されない人権問題です。ですから、LGBTの人たちの「性自認」について他人はしっかりと認めなければなりません。と同時に、LGBTの人たち自身もみずからの行動には十分、気をつけなければならないのです。
事実上、すでに”同性婚”をしているLGBTの人たちも多数いるはず。「彼・彼」や「彼女・彼女」らの望みは、生活を初めとするバックグラウンドの保証・保障でしょう。それは人間として必要不可欠ですから、大いに要求をすればいい。
一方で私が望むのは、その行動に気を遣ってほしいということ。不特定多数の人がいる前で、「”同性同士”が臆面も無く繰り広げる愛撫や嬌態」を他人はどう見ているか、ということに想像力を働かせてほしい。私からすれば、それはとんでもない行為であって、街路を往来する人たちはそのような行為をとても受け入れることが出来ないのです。
<問題2>
さて、次に「憲法」の問題です。性の多様性は認めますが、国家が“同性婚”を認定するというなら、「憲法24条」を改定してからにしてもらいたい。
「憲法24条1項 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっています。
* 言うまでもなく、「両性」は男と女であることは自明です。もし”同性婚”を認めるのなら、その前に「憲法の改定」が不可欠です。したがって、それはこうなるでしょう。
【婚姻は、「個人と個人」の合意……】
あるいは、
【婚姻は、「男性と女性」、または「男性と男性」、または
「女性と女性」の合意……】
という文言に書き換える必要があります。そうしないと”同性婚”とは名ばかりのものとなって、法務行政上、混乱を引き起こす事態となるでしょう。
<問題3>
つまるところ、「個人の感性」と「人権」という異同をごちゃ混ぜにして論評するマスコミの読みの浅さが、問題をあらぬ方向に走らせている、としか言いようがないのです。
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LGBTの人たちへの私の意識
LGBTの人たちについての私の意識は、「個人」と「愛人関係にある男性・男性、または女性・女性」とはまったく別物なのです。
▼名前を出すのは失礼かもしれませんが、たとえばテレビに映る美輪明宏さん(昔から私は大のファンであり、その見識に魅了され尊敬するひとりです)はじめマツコ・デラックスさん、IKKO(イッコー)さんらの話しぶりは面白い。つまり、個々人として活躍されているときは何の”違和感”もないのです。
▼しかし、このブログ{★誤った同性婚問題>2}にも書きましたが、性的な関係での「男・男」、「女・女」の組み合わせが出来たとき、私の意識は突然、変わるのです。つまり、その“状態”を受け入れられなくなってしまう。
▼荒井秘書官は「隣に住むのも嫌」だといったことが、差別発言だとして更迭されました。ただ私はそこまで言わないとしても、「男・男」、「女・女」の組み合わせを見たとき、私の“感性(感情)”は変異します。荒井秘書官も「同性婚の状態」を意識して発言したのではなかったか。
何度も言いますが、”同性愛”、”同性嗜好”、”同性婚”――については、どうぞご自由にということです。が、くれぐれも街頭での「同性同士の愛情表現」は慎んでいただきたい。それを見た私は、吐き気を催すのです。
最後に、べつの話で恐縮ですが、私の妻は花が大好きです。しかし、「金木犀が放つ、あの臭い」が大嫌いで、私と一緒に街を歩いていてそれに出遭うと逃げるようにその場を離れます。私は「いい匂いじゃないか」というのですが……、感性は人それぞれなのです。
(記 2023.2.10 令和5)
