*随想 暮れゆく2022年 悠久の歴史の一コマにすぎないが… | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 

                                 信長は偉かった?

 

 

     今年も暮れようとする先日、生まれ故郷の京都市内

    に帰り、(この世で意識を持って会話することの叶わ

    なかった両親をはじめ)先祖の墓参りをして来ました。

 

   墓は、東山連山の南端に位置する深草山の中腹にあります。

 

 墓域に入ると、いつも寂寥感にさいなまれるのですが、高齢者となった今は、「私をこの世に置いてあの世に逝かなければならなかった親の慟哭」は、いかばかりだったか、との思いが募ります。

 

 その日はたまたま曇天だったのですが、なんと墓石を洗う家族の頭上に突然、小雨が降って来たのです。そして数刻後には雷雨となり、大きな稲光が走りました。

 

 

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 しかしというか、やはり、ふるさとはいいものですね。いまは東京ぐらしの身で、京都に帰るのは年に二回くらいです。

 

 こちらで感じるのは、あの高村光太郎の『智恵子抄』に出てくる言葉ですね。

 

    「智恵子は東京に空が無いといふ」

     「ほんとの空が見たいといふ…」

 

 私は東京住まいをして、「東京の空」をこのように思ったことはいちどもありません。「いつもきれいな空だ…」と思うのですが、智恵子のふるさと安達太良山あたりは想像がつかないくらい空気のきれいなところなのでしょう。

 スモッグに覆われた昭和の時代を生きてきた私たちからすれば、ずいぶん環境が良くなった東京なのですから。

 ただ一説に、このようなフレーズは智恵子の精神状態を表しているとも言われています。

 

  さて、これにならうと、私の思いはこうなります。

 

 「りんどうは東京に山が無いといふ」

 「京都・東山のような山を見たいといふ…」

 

 

 

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         さて、いよいよ今年も暮れようとしています。

 

 今年もいろんな本を読んできました――。文学、哲学、歴史、政治、物理……。思うことは、論語や徒然草、はたまた吉川英治や野村克也などの先輩が「名言」として言ってきた「我以外皆我師われいがいみなわがし)」。まさにその通りですね。しかし、「人間とは何か」については、どこまでも「???」というのが正直な感想です。

 

 「すばらしい生物」という見方がある一方で、「戦争を続ける馬鹿者」「出来そこない」……。そんな中、最近出版された田坂広志さんの『死は存在しない』という本は、量子力学から導き出された内容で、私の“守備範囲”なので面白い。

 

 それらのバックにあるのは、やはりユングの思想ですね。「意識は消えない」「霊性がすべて」なのです。来年もそこを探求します。

 

 

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      では最後に、先日発行の週刊誌に、高山正之さんの

     “ためになる記事”が載っていたので記録しておきます。

 

   週刊新潮『変見自在』2022年12月15日号)から引用します。

 

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  『変見自在・1015

 

    信長は偉かった             

                 高山正之

 

 ユダヤ教の神ヤハウェは天地を創造し、ヒトも含めすべてを創った。

 ただ少し抜けていてバール神とかその他大勢の神も創ってしまい、ユダヤの民には「他の神を崇めるな」と命じる羽目になった。

 民は従うが、今度は「濫(みだ)りに我が名を口にするな」という。「神様、助けて」とか神頼みはするなと。

 LGBTも嫌いで、ソドムの町は焼き払われた。

 その点、日本の神々は違う。ひたすら民を思う。災いがあれば、それを神様が祓って川に流し、川の神が海の神に渡し、最後は水底の神が埋めてしまう。川の神は「千と千尋」にもちょっと顔を出していた。

 そういう神々を祀る伊勢神宮や諏訪大社、豊川稲荷などは日本列島を縦断する大断層、中央構造線の上に建っている。

 断層がもたらす地震や噴火を鎮めるためにおわすように見える。

 ただ日本の神々は不浄を嫌う。とくに死を嫌う。だから神社内では絶対に葬式をやらない。

 人々は困って、死にそうな召使には暇を出し、多くが行路死した。

 芥川の『羅生門』にはそうした死体であふれる京の都が描かれている。

 その惨状にお寺の坊主が目をつけた。

 お釈迦様は涅槃に入るとき「葬式はするな」と言ったが、それは聞かなかったことにして以来お寺が死人の始末を始めた。

 坊主が葬式を仕切り、戒名に卒塔婆に墓石も売りつけた。坊主丸儲けだった。

 カネができ、真剣に彼岸を信ずる信徒がたくさん増えれば坊主は増長する。

 荒法師が京を荒し、坊主軍団が政争に割って入って政治を動かしてきた。

 意のままにならぬは「鴨の流れと山法師ども」と白河法皇が嘆いたのもこのころだった。

 一向宗の坊主たちはとうとう加賀を支配するに至って、信長は信仰心を悪用する坊主の成敗に出た。

 一向宗総本山の石山寺を討ち、比叡山の天台宗延暦寺も攻め落とした。

 信長記には女子供に至るまで皆殺しにしたとある。ルイス・フロイスが「悪魔の所業」と非難するほどの振る舞いだった。

 ただ歴史作家、塩野七生は別の評価をする。信長以降、坊主は分を弁え、政治に口出ししなくなったと。

 もう一つの外来宗教、切支丹も神の愛を説きながら奴隷商売に勤しんだ。

 秀吉はイエズス会のコエリヨに真人間になれと説くと、彼は反発して切支丹大名を語らい、秀吉を討つよう画策した。

 そういう政治性を家康も家光も嫌い、島原の乱では女子供まで殺した。日本人キリスト教徒が己の分を弁えた瞬間だった。

 明治政府も、五榜の高札で切支丹を含む邪道の布教を厳しく禁じた。

 実際、海の外のキリスト教徒に進歩はなく、米国ではその3年前まで黒人奴隷を使い、禁止されると今度は苦力(クーリー)を買っていた。

 一方日本では宗教が躾られ、それによるゴタゴタは一切なかった。

 しかし戦後、馬鹿なマッカーサーがきた。

 日本軍に叩かれ敵前逃亡までしたこの愚将は日本軍の強さの源「大義」を知らなかった。

 それを日本の神々への信仰心だと邪推し、神道を邪教とするGHQ憲法を押し付けてきた。

 ために忠魂碑を拝むことも靖国詣でも咎めだてられたが、その反動で、仏教もキリスト教もその他宗教も何をしても許された。

 オウムは弁護士一家3人を殺し、長野で8人を殺害しながら信仰の自由を盾に警察の捜査すら阻んだ。

 創価学会は信長が許さなかった政治に口を出し、文鮮明は朝日新聞が慰安婦の嘘で支援したこともあって日本人に贖罪のカネを出させ、日本人女性には自ら韓国人の性奴隷となるよう仕向けた。

 この文鮮明の不遜をきっかけに、国会は初めて神道以外の邪教にメスを入れ、瓢箪から駒というか、その邪教に気付いてきた。

 日本人に外来宗教は似合わない。日本の神々が一番いい。

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      いやぁ、正鵠を得た記事です。

 

 

 

                  (記 2022年12月29日 令和4年)