♦ニュースから(65) 塀の中の、選手の選手による選手のための「五輪・パラ」だった? | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 競技場の外は閑散として……

 

 

    「東京パラリンピック」が、3日前の9月5日に閉幕しました。

    コロナ禍の下、先の「東京オリンピック」とともに開催するか

    それとも中止するか――すったもんだのあげくに開かれたので

    すが、何かもうひとつすっきりしない大会でした。

 

    2021年9月6日付の朝日新聞朝刊1面は次のように報じています。

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  (TOKYO2020+1)

    東京パラ、閉幕 日本メダル51/学校観戦1.5万人

 

   第16回夏季パラリンピック・東京大会は5日、閉会式が国立競技場

  (東京都新宿区)で無観客であり、13日間の熱戦に幕を閉じた。新型

  コロナウイルスの感染拡大で東京五輪に続いて1年延期となった大会は、

  162の国・地域(ロシアは個人資格での参加)と難民選手団を合わせ、

  過去最多の約4400選手が参加。会場のある1都3県に緊急事態宣言

  が出るなかでの開催で、全ての会場で一般客を入れなかった。

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                 +

 

 思わぬコロナ禍に見舞われて、東京開催が決まった時点では予想もしない事態でした。したがって、IOC(国際オリンピック委員会)やIPC(国際パラリンピック委員会)、開催国・日本の関係者にとっては四苦八苦の連続だったでしょう。

 日本の威信をかけての準備。しかし、日に日に状況が変わる「コロナ禍」です。だれもが「これでは開催不可能」とおもんぱかったのですが、最後は「決行」ということになりました。果たして、コロナ拡大への影響はあったのか、なかったのか。検証はこれからです。いずれにせよ、競技はすべて終了したのです。

 

 

                  +                         

 

 そこで、私の感想は――

五輪・パラを“成功裏”に終えたことは御同慶の至りですが、日本国民として大会をどう総括すればいいのか、気になるところです。

 

「リンカーンの演説」を持ち出すまでもないのですが、コロナ下の催事は当事者以外の国民を蚊帳の外へ放り出したままである、ということになります。たとえば、今回の態様は次のようなものではなかったでしょうか。

 

 【1】アスリート(選手)のアスリート(選手)によるアスリート

    (選手)のための五輪・パラ だった?

 ➡選手にとって、その青春を五輪・パラに賭けることは自らの「存在」を証明

  する行為に違いない。じゅうぶん理解できる。そんな中、錦織圭選手のよう

  な冷静さを失わないアスリートもいた。(錦織圭は言った。「死人が出てま

  でも行われることではないと思うので、ひとりもコロナの患者が出ない時に

  やるべきかなと思います」 

 

 【2】IOCのIOCによるIOCのための五輪・パラ だった? 

 【3】IPCのIPCによるIPCのための五輪・パラ だった?

 ➡開催を1年先に延ばした。で、是が非でもやらなければ来年の北京冬季大会

    開催も危うくなる。みずからの存在意義が失われる? バッハさん、パーソ

  ンズさんは必死のパッチだったのでしょう。

 

 【4】 NBCテレビのNBCテレビによるNBCテレビのための

     五輪・パラだった?

➡アメリカの民間放送局「NBCテレビ」による放映権料の問題があります。

  組織委員会の運営にはこのカネがないと窮するとか。

  時差があるにもかかわらず、開催国・日本の時刻に合わせない競技設定で、

  ビッグな競技はすべて夜間(深夜に及ぶものも)に挙行されるという羽目

  に。選手は体調管理がタイヘンだったでしょう。前回(1964年)のオリ

  ンピックではほとんどが昼間に行われたはず。

 

 

 確かに、ほとんどの国民はテレビというバーチャルな空間で参加する”ことは出来ました。しかし、莫大な金をかけて造りあげた競技場のすぐそばへ一般客が一歩も近づけない競技会が果たして、世界の、自国民のための競技会といえるでしょうか。かずかずの疑問が残ります。

 

                  +

 

 

 

 

 

 さて、パラ最終日の日曜日昼前。妻と日本橋の高島屋へ買い物に出かけました。当日はマラソンがあるので、ひょっとして最後の最後に街頭で選手を見られるかもとの思いで出かけると、地下鉄を上がった目の前の道路を選手が次々と通り過ぎて行くではありませんか。周囲を見回すと、応援にきている人はごくわずか。「応援自粛」と大書した紙を胸からぶら下げているボランティアがところどころに立っているのですが、まったく必要なし。「コロナ自粛」の掛け声は十分に効いていました。ハイ

 

 そして、私は選手が走る車道のそばへは行かず、ビルの軒下で椅子に腰を掛け、しばらく見ていました。選手たちは小雨の降る中、楽しみながら走っているように見えました。=写真

 

 選手がすべて通りすぎたようなので、高島屋で食事をしたあと新宿区にある国立競技場へ向かいました。しかし残念ながら、そこで見たものは数年前、建設が始まった時に見た風景と全く同じ。つまり、一般人を寄せつけない鉄板の塀に囲まれた競技場だったのです。これでは、選手と国民との交流はとても考えられない!!

 

 

 

 

                  +

 

 ■ それでは最後に、下世話な話をひとつ

綺麗に印刷された大量の未使用入場券の行方が気になりますね。すべて回収されて焼却されるのか、それとも個人の手許に残るのか――。じつは発行前の記念切手のようなもので、使用実績がない“幻の入場券”です。将来、とんでもない値がつくはずです。過去に切手収集をしていた経験のある私が思うに、マニアにとっては金メダル以上?の“垂涎のチケット”です。(後に「玩物喪志」という言葉を知ってから、私は収集というものをきっぱりとやめましたが…) 組織委員会の橋本聖子会長、どうされますか。

 

とにもかくにも問題の多かった五輪・パラですが、ぶじ会長を務めあげた橋本女史には拍手を送りたい。世界に発信された開会式・閉会式でのあいさつは落ち着いた表情で難なくこなしたのですから、言うことはありません。五輪ではバッハ会長から「金章」まで贈られたとか。まあ、そのことは喜びましょう。

 

もうひとつ 最後の最後に「お笑い五輪」を私からお送りします

  聖子会長に挑んでほしかったこと!!!

 

私の希望としては、過去の五輪で<スケート>と<自転車>競技の選手として出場したことのある聖子会長ですから=写真=、最終の東京パラ閉幕式では振り袖に身を包み、ローラースケートか自転車に乗って、手を振りながらトラックを一周して欲しかった。

 

 なぜならそれは、7月28日の産経新聞<正論>に掲載された動物行動学研究家・竹内久美子さんの論文『新旧の東京五輪に思う 日本が日本でなくならぬように』に対して、組織委員会会長からの回答であり、竹内さん、さらに日本国民への陳謝になると思ったからです。

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 ……他国に乗っ取られたかの様相は、今回の東京五輪のメダル授与式の

 衣装を見たら一目瞭然だ。……… どこにも日本らしさのない、2つの

 お隣の国の衣装としか思われない、貧相なデザインに怒りを覚えた方も

 多いことだろう。(記事から抜粋

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 私も竹内さんと同感です。日本はいったい、どこへ行ったの?

 

 

                            (記 2021.9.8 令和3