けさ(2019年1月5日)の朝日新聞朝刊1面に、『創刊140周年記念事業』を紹介する朝日の社告が掲載されました。
朝日新聞は2019年1月25日に創刊140周年を迎えます。
企業理念に掲げる「ともに考え、ともにつくる」をキーワードに、
20年3月にかけて様々な記念事業を展開します。
「クリムト展」や「コートールド美術館展」、「鳥獣戯画」で知
られる高山寺展など多彩な文化事業……の開催を目指します。
――とあります。
そして13面には、「明恵上人と鳥獣戯画」についての紹介が、他の展覧会とともに載っていたのです。
ああ、久しぶりに明恵さんに会える! 新年早々、私にはうれしい記事と出合うことになりました。
(引用します)
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<朝日新聞創刊140周年記念事業>
高僧の見果てぬ世界 ◆明恵の夢と高山寺展
京都・高山寺(こうさんじ)を築いた明恵(みょうえ)上人(1173~1232)に焦点をあてた特別展。寺に伝わる国宝「鳥獣戯画」全4巻も展示する(甲乙丙丁、前期・後期で展示替え)。明恵は修行期の19歳から晩年の58歳まで、眠っているときの夢だけでなく、修行中の夢想も「夢記(ゆめのき)」(鎌倉時代)に記していた。修行の一環だったが、犬や鹿などの動物や母と慕った仏眼仏母(ぶつげんぶつも)像も登場する。朝日新聞社の創業者・村山龍平(りょうへい)の収集品にも「夢記」があり、関連する絵画、彫刻などを通して、明恵の「夢」の意味を探る。
「鳥獣戯画」(平安~鎌倉時代)は、ウサギやカエルなどの生き物が擬人化され、軽妙に動く姿が人気の絵巻で、漫画の原型ともされる。甲乙が前期(4月14日まで)に、丙丁が後期(4月16日から)に展示される。
<3月21日~5月6日、大阪・中之島香雪美術館>
国宝「鳥獣戯画(甲巻)」(部分)
平安時代、12世紀 高山寺蔵
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このブログのプロフィールでも紹介していますが、私は3歳で両親を亡くしました。その私が中学生の頃、母方の祖父(湯浅姓)から「先祖は紀州湯浅の城主・湯浅宗重」だということを聞きました。宗重は平安末期~鎌倉初期の人物ですが、当時、滋賀県草津市に住んでいた祖父の家の蔵には数々の武具があったのを記憶しています。
明恵上人は、父親が高倉上皇の武者所に伺候していた平重国で、母親は湯浅宗重の四女です。したがって私は、祖父~宗重を通じて明恵上人との縁をいただいていることになります。このあたりのことを、ブログ「*私のこと*(3) 明恵上人と私」に書きました。
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ところで、今回の展覧会は<朝日新聞創刊140周年記念事業>というかたちで計画されていますが、私にとっては「ふしぎな縁」をすごく感じるのです。
じつは私は、「朝日新聞」との縁をいただいて今日まできました。最近、来し方を振り返ってつくづく思うのですが、まさに数々の縁によって結ばれていたことに気づきます。
まず最初に、就職に際しては望むべくもなかった「朝日新聞社」との縁が出来ました。どう考えても出来るはずのないその縁がどうして出来たのか。それは、ブログ「*私のこと*(4) 新聞小説『渦巻』 明治後期の我が家がモデル」で紹介しています。
つまり明治の末期、私の父方の家庭(明治時代、公家の分家)が、朝日の記者であり小説家であった渡辺霞亭の手によって朝日新聞の連載小説のモデルになりました。そのことが、私を「朝日新聞」に引き寄せた、としか思えないのです。もし、霞亭がその小説を書かなかったら、私と朝日の縁はなかったかもしれない。ふしぎです。
そして、これもそのブログに書いていますが、霞亭が大阪朝日で活躍していた頃、同じく東京朝日では夏目漱石が次々と小説を連載していました。そして、これまたふしぎなことが。
私は大阪朝日編集局のある部署にいましたが、ある頃、別の部署に変わったのです。そこで同僚となったのが、漱石のひ孫の代にあたる「夏目Yさん」でした。本好きの私にとっては、何はともあれ「漱石」です。その漱石の縁者であるYさんと一緒に仕事を続け、しゃべり方や表情のなかに“漱石を見る”ことが出来たのは幸いでした(Yさん、失礼)。これまた、ふしぎな縁です。
そしてなんと、今回の朝日による「140周年記念事業」では、次のようなことが私の周りでシンクロしているのです。
・父方の縁から「朝日新聞の連載小説」
・母方の縁から「明恵上人」
そして
・私自身の縁から「朝日新聞創業者・村山龍平翁の収集品『夢記』」
私にとって、この世でまみえることのなかった両親です。が、このような“奇縁の重厚”は、先祖が私を応援してくれていると考える以外、思案がつきません。まさに、ユングが言うシンクロニシティ(共時性、引き寄せ)の世界なのです。ふしぎです。
会場には、「仏眼仏母像」が置かれるとか。
新年早々、これ以上のうれしさはありません。
(記 2019.1.5 平成31)

