★自動車と人権(22) 「あおり運転」で夫婦を死亡させた男の意識 | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

    

     むなしい“事件”だ

        被害者はむろん加害者にとっても

 

 

 “事件”が起きたのは昨年6月のこと。東名高速道路のパーキングエリアで、駐車方法を注意されてカッとなった男がいた。男は注意をした人のワゴン車を追いかけ、クルマの前に何度も割り込む「あおり運転」をつづけた。そしてあげくの果て、追い越し車線上でワゴン車を止め、家族に暴行。その直後、ワゴン車は後続のトラックに追突されて、クルマの外に出ていた夫婦が死亡、娘二人は恐怖の中を生き残ったのです。

 

 加害者は福岡県中間市に住む石橋和歩被告(26)。横浜地裁は14日、懲役18年の判決を下しました。被害者は静岡市の萩山嘉久さん(当時45)と友香さん(当時39)夫婦。

 

これが「自動車を運転する」という行為の本質でしょう。あまりにもむなしい。

 

 

 4日前(20181215日)の朝日新聞朝刊1面「天声人語」子は、この<車社会のゆがみ>を次のように書きました。

  (引用します)

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 〈何百人の、何千人の、何万人の、何億人の人々が殺されたなら「交通戦争」のただ中にいることに気がついて〉〈でもこの国の法律は、生命は米粒ほどの軽さ〉。18年前、大学生の長男を交通事故で失った神奈川県の造形作家、鈴木共子(きょうこ)さん(69)の詩である▼息子を奪われた悲しみ、納得しがたい刑の軽さ。鈴木さんは他の事故遺族と立ち上がる。37万人の署名を集め、導入されたのが危険運転致死傷罪である▼東名高速で起きたあおり運転に同罪が適用された。言い渡されたのは懲役18年の刑。家族旅行の帰りに突如、両親の命を奪われた娘2人の無念を思えば、重刑とは言えまい▼犠牲となった男性の母は本紙に近況を語る。泣いてばかりもいられず、趣味のカラオケの会に。歌ったのは坂本九さんの曲。〈上を向いて歩こう 涙がこぼれないように〉。マイクを握りながら涙があふれる。上を向いて歌うしかなかったという▼捜査の決め手は周辺を走る車のドライブレコーダーだった。普及前、開発に打ち込んだのは、やはり事故で息子を失ったエンジニア(76)である。「遺族には事故状況が開示されません。息子の最期がわからず、苦しみました」▼いま交通事故で命を落とす人は、日本で年間3700人、世界に130万人。一人ひとりに家族がいて、親友がいて、恋人がいる。遺族は喪失感の沼に沈み込む。車社会のゆがみに声を上げ、制度の足らざるところを改めてきたのは、その沼の深さを知る事故遺族の方々である。

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 <▼いま交通事故で命を落とす人は、日本で年間3700人、世界に130万人。…>とあります。

130万人というと、なんと「トリニダード・トバゴ」や「エストニア」の人口と同じです。世界では毎年、交通事故でそれらの国民と同数の人が順に“消滅”しているのです。

 

                   +

 

 

 

 執拗に「あおり行為」を続ける男の意識は、いったいどうなっているのでしょうか。

 限りなく「動物に近い状態」だとしか言いようがありません。他人を思いやる心は失せ、エゴのかたまりとなって凶器を走らせているのです。

 

 それにしても、これまで何度も書いてきましたが、自動車は交通手段であるにもかかわらず、その躯体構造は武士の鎧兜(よろいかぶと)と同様なのです。「自動車に乗り込む=鎧兜を装着する」という意識が現出するに違いない。特に男性には。

 

 「俺は強いのだ」という意識が、クルマに乗った瞬間に芽生えるのでしょう。他を寄せつけない意識がメラメラと湧き上がってくる。したがって、他人のクルマが近づくと、それを攻撃せずにはいられなくなるのでしょう。

 

しかし一方で、被告が人間性をなくしていたのはクルマを運転していた時だけで、日常はそうでもなかったかも…。というのは、判決を報じるテレビの中で、女性アナウンサーが「石橋被告の彼女がこう言っていた」と伝えていました。

 

「彼をみんな悪い人というけど、わたしにはすごく優しいんよ」

 

 

 やはり、「クルマを運転する人間の意識は豹変する」ということを示しています。クルマは“武器”なのです。

 

 

                       (記 2018.12.19 平成30