<真我意識>に、「死」や「時間」や「空間距離」はありません。
私が3歳のときに亡くなった母親。話をしたことのない母親――いや、幼児の頃、たしかに会話を交わしていたことは事実なのですが、私にはその記憶がないのです。
ところが、その母親が“生きていた”のです。やっと対面することが出来ました。「死」は<自我意識>というこの世の観念であって、<真我意識>によるあの世の魂は“死んではいない”のです。そのことを改めて知ることになりました。
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先日、今は亡き姉(養母)が大切にしていた桐箱の中を整理していると、セピア色になった母親の写真が出てきました。若い頃、何かの折に姉からその写真を見せられ、そこに写っている人が「自分の母親」だと初めて知った日のことが鮮明によみがえりました。
物心がついた頃、20歳も年上の姉がいつも私のそばにいて(母親のように)養育してくれていましたが、どういうわけか、その姉を母親と思うことはありませんでした。たぶん、近所に住んでいた叔母などが「ねえちゃん」だよ、と言ってくれていたのかもしれません。で、私は「ねえちゃん」という人は、「母親ではなく姉という存在」だと自覚したのか、姉を「おかあちゃん」と呼ぶことはありませんでした。
「母親」の写真があることを知ってからは、「その顔」を見たいと思うことが何度もありました。しかし、養母として訓育してくれている姉にそれを言い出すことは憚られたのです。姉弟なのだから何の遠慮もいらなかったのだけれど。
歳月を経て、寝たきりになったその姉を7年前に自宅で看取りました。母親代わりをつとめてくれた姉は、私としてはいくら感謝をしてもしきれない人です。しばらくして遺品を整理していると、その写真は桐箱の中にきちんと納まっていました。写真にうつる「母親」は40歳くらいだったでしょうか。どこで撮影したのか分かりませんが、バックに花瓶などがしつらえられており、綺麗な着物姿でその前にたたずんでいました。
「誰に対しても優しくて、ふっくらと、たおやかな人だった」とのほめ言葉を、近しい人から聞いたことがあります。まさにそのような雰囲気がただよっており、とてもうれしい気分になりました。
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先日のこと、ふと気づいたのです。「そうだ、あの写真を桐箱から取りだして額縁(フォトフレーム)に入れよう。そうすれば、いつも会えるのだ」。さっそく百貨店に出かけ、クラシックな感じがする額縁を購いました。そして、その日の午後、「母親の写真」は居間の飾り棚の中央に納まったのです。
ところがなんと、その夜のことでした。思わぬことが起きたのです。
――夢のなかに「母親」が出てきたのです。その姿は写真の中の着物姿そのものでした。
結婚いらい京都市中に住んでいた母親。その「母親」が私の前に、はんなりとした姿で現れたのです。生まれて初めて「からだを持った母親」と会い、話をした瞬間でした。
ただ、そのようすは、この世で邂逅するときのような感じではないのです。「母親」と話を交わすのですが、おたがいに声は出ておらず、顔の表情をくみとりながら意思疎通をはかる、といった感じでした。
この状態は、臨死体験の折に“あの世”へ行った人が、近親者と際会するときの状況によく似ています。つまり、姿かたちを持つ人間同士が声を出しあって行うこの世での会話ではありません。それでもちゃんと意思は通じるのです。
また、「話をする」といっても、この世でのように話題を選択しながら話すのではなく、「にっこりと対面しているだけで、すべてが通じる」のです。
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ありがたいことに、「母親」との“再会”で、私に変化が訪れました。
私にとっての母親は「これまで見たことのない人」でしたが、それ以来、といってもまだ二日くらいしかたっていませんが、いつも私の身近にいるような気がします。「母親」も私の“姿”を見て安心しているのでは、と思えるようになったのです。
今回のことは、私の「魂」や「意識研究」にとっても大切な経験となりました。
(記 2018.6.30 平成30)