「望ましい人生の終え方」を提言し、みずから実践した人で知られる日野原重明さんが、けさの民放テレビのニュースショー番組(2017年12月12日)に出ておられました。いや、ご本人は既にこの夏に亡くなられているので、「生前の姿が放映されていた」というのが正しい表現です。
医師で、元聖路加国際病院の名誉院長、文化勲章受章者の日野原さんは、自身の延命治療を拒否され、あの世に逝かれました。
105歳での大往生について、聖路加国際病院の福井次矢院長は「日野原先生は『年を取ること自体が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんな楽しい冒険はない』とおっしゃっていた。またそんな気持ちで、自分の命がなくなる過程を客観的に眺めていたのではないか」と推し量った。(2017.7.18「産経ニュース」から)
多くの著書を世に出されています。当時、新聞の広告欄にもずいぶんいろんな本のタイトルが載っていたので、目にはしていました。しかし、私は一冊も読んでいないのです。なぜなら、私が読む本は常に優先順位をつけているので、先生の本の順番が回ってこないのです。来そうになると、他の本の順位が先になるため、結局、今日まで読む機会がなかったということです。
テレビの中の日野原さんはお年を召され、椅子に寄りかかっておられました。100歳を超えられていた頃ではないでしょうか。どうして「今日」という日にテレビが日野原さんを取り上げたのか何か理由があったのでしょうが、番組の途中から見た私にはそれは分かりませんでした。
そんな中、私がテレビにクギ付けになったのは、インタビュアーが「死は怖いですか」と尋ねた時です。その問いに、日野原さんは「怖いです。恐怖です」と答えておられました。
ながく医療界におられた日野原さんにして、この言葉。数多くの「死に赴く人たち」の姿を見、そして会話もずいぶんされてきたと思うのですが、そこで自身が得られた教訓は「死の意識」ではなく、「延命措置は不要」ということでした。
学者・日野原先生は、「死に赴く人たちの意識」について意識されなかったのでしょうか。先生のこのような発言は正直といえば正直ですが、これでは世間のお年寄りにとっては依然、「死は恐怖」という観念は免れません。テレビを見終えて改めて私は思うのでした。
死は恐怖ではなく、至福です。
「死は恐怖ではなく、至福です」――これが私の「死に赴く意識」です。ただし、これは自然死に対してであって、自死もそうだとは言えません(※自死者の意識の記録はないからです)。
「死は恐怖ではなく、至福です」。それは私自身が臨死体験で「いちど死んでいる」経験から言えることなのです。その時の状況は、このブログの<研究 悟りから聖者への道>に書きました。
そこではもう「肉体」はなくなっており、「宇宙のなかの私」という意識が光暉な世界の中に存在するのみなのです。死の瞬間、「自我」から脱けた私という意識が「真我」の世界に入ったことを自覚するのです。
臨死体験をした私は、「臨死状態」からこの世に戻って以後、「死に対する恐怖」は全くなくなりました。「死とは何か」ということが理解できたからです。ですから今は悠然とした意識を持って日々を過ごしています。ただ、この思想を万人に広めようとは考えていません。なぜなら、「臨死状態」を体験したのは私個人だからです。それが絶対正しいということを「自我の世界」に生きる人たちに理解せよ、とはいえないからです。
「臨死体験」は決してスピリチュアルなものではなく、科学としてとらえられてきていることに私は希望を持っています。とくに量子力学の世界です。
「死」は、恐怖ではありません。
(記 2017.12.12 平成29)