新聞の広告欄に載る新刊本は、通販で買うことが多くなりました。単行本も、新書版も、文庫版も、みんなパソコンの中に並んでいるので…。でも、たまには書店に足を運ばないと、何か落ち着かない。
値が張る専門書は、本を手に取って中身を見てから買わないと“大けが”をします。少し前のことです。科学関係の本でタイトルを見て面白そうだったので、すぐにパソコンを開いて「通販○○」の「本」をクリックして注文しました。数日たって届いた本を勇んで読み始めたのですが、まったくもって面白くない。内容はともかくとして、著者の言葉遣いが荒っぽく、上から目線で親切心に欠けているのです。著作に親切心は不要かも知れませんが、長く読書を続けて来てこんな本に出合ったのは初めて。いやぁ、参った参った。その若い筆者には、「論語」を少し読んでから本を書いて欲しかった。
➡子、子夏に謂いて曰く、
女、君子の儒と為れ。
小人の儒と為ること無かれ。
(し、しかにいいてのたまわく、
なんじ、くんしのじゅとなれ。
しょうじんのじゅとなることなかれ。)
孔子先生は子夏に向かっておっしゃった。
「君は志を持った徳の高い君子の学者となりなさい。
ただの物知りの小人の学者にはならないように」
というようなことで、あらためて「専門書は中身をよく見てから購入すべきだ」と、この歳になって反省している次第です。
ところで先日、大阪の中心街に出かけたついでに、ベストセラーの「新書版」を求めて書店に立ち寄ったのです。
新書版コーナーには、こんな本が並んでいました。
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『バカ論』(ビートたけし、新潮新書)
『投資なんか、おやめなさい』(荻原博子、新潮新書)
『日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで』
(磯田道史、中公新書)
『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』
(河合雅司、講談社現代新書)
『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』
(矢部宏治、講談社現代新書)
『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』
(川島博之、講談社+α新書)
『新聞記者』(望月衣塑子、角川新書)
『日本問答』(田中優子、岩波新書 新赤版)
『ハーバード日本史教室』(佐藤智恵、中公新書ラクレ)
『人類5000年史 1 紀元前の世界』(出口治明、ちくま新書)
『悪の指導者論』(山内昌之、小学館新書)
『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(磯田道史、NHK出版新書)
『男と女の理不尽な愉しみ』(林真理子、集英社新書)
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買おうとする本がありました! さっそく手に取りパラパラとページを繰ったのですが、途端に買うのをやめました。なぜ? 印字されている文字があまりにも「薄すぎる」のです。一字一字、文字を追えば確かに読めますが、これでは通読するのに時間がかかりすぎます。
私も齢を重ねてだいぶ視力は落ちてきたのですが、眼鏡をかければ「左1.2」「右1.0」くらいはあり、読むことに何ら不自由していません。しかし、それでも「薄い」と感じるのです。
そこで、他の新書版をいくつか手に取りました。「うん、うん」。いずれも「印字の濃さ」は多少濃淡があるものの、さらさらと読めます。
片や、「単行本」で、こんなに薄い文字に遭遇した経験は皆無です。そうなのです。薄い文字の本が売られているのは「新書版」と「文庫版」だけだということを“再発見”したのです。
どうしてだろう。
印刷中にインキが少なくなってこのようになるのだろうか。それとも印刷機に問題があるのだろうか。しかし、印刷途中で気づかないはずはない。たとえば、何万、何十万という部数を短時間のうちに刷る新聞社には「検紙係」がいて、印刷途中で紙を抜き取り、色の濃さを確かめ調節しています。ですから、配達される新聞で読みづらいほど印字の薄いものを見たことがありません。
ところがどうしたわけか、本に限って「新書版」と「文庫版」にはあるのです。これをプロの出版社がどうして気づかないのでしょうか。私に言わせれば、これではまともな「商品」とはいえません。よく流通しているな、と思うのです。
家に帰って、最近ネットで買った新書版をいくつか調べました。先日届いた南直哉さんの『「悟り」は開けない』(ベスト新書)がいちばん濃い文字で印刷されていました。眼鏡をかけなくても読めるくらい、くっきりした文字です。本の帯には住職の南さんご本人の写真が写っており、剃髪の頭は薄いのですが、本の文字はほんとに濃かった。いや、失礼!
本の印刷工程については詳しく知らないのですが、私が言う「印字の濃さ」というのは、こういうことです。
つまり、紙に印刷された文字の濃さは、仮に「1」~「10」の段階があるとして、「1」は文字として確認はできるが、まったく薄くて読むのに苦労する、したがって商品としての価値がないというものです。一方、「10」は濃すぎて、明朝体の文字もゴシック体のように見えて“目が痛い”といった状態のものです。
で、「5」がその中間で、私のように少し目が衰えてきたなあと思う者には「少し薄い」と感じる段階です。結果、私にとっての最適な文字の濃度は「7~8」くらいになります。買おうと思ったが買うのをやめた本は「濃度2」くらいでした。
何年くらい前になるでしょうか。以前にも同じ経験があります。
京都市内の大型書店で買おうとした「文庫版」があまりにも印字が薄いので、会計コーナーの責任者の方に話したことがあります。「この本を買いたい、でもあまりにも字が薄くてとても読む気がしない。積まれているものはみな同じ状態です。どうしてこのような本が店頭に並ぶのですか?」。責任者はこう答えました。「たしかに薄いですね。文字の濃い薄いは出版社や取次店の責任なので、こちらではどうしようもありません。来たものを並べるだけです」。「返本しないんですか」「しません。そんなことしたら、もう後が入ってきませんから」。
それにしても、「出版社も書店も、よくこんな本を売るなあ」というのが私の偽らざる思いです。著者が知ったらどう思うでしょうか。「こんな薄い文字の本を売らないでください」とクレームをつけるはずですが、そんな声を上げたというケースを寡聞にして知りません。いやいや、著者に届ける本はしっかり「検本」して状態の良い瑕疵のないものを送っているのかも?
信頼できる好きな著者の本です。ネットでもいいのですが、また明日にでも他の書店をまわって購入しよう。面倒なことですが…。
書店のみなさん! 単行本や写真本、それに雑誌などは大丈夫です。「新書版」と「文庫版」については、店先に並べる前にちょっと中をのぞいてください。印字が薄すぎて読みづらい本は出版社・取次店に差し戻しましょう。私のように買いたくても買うのをやめる読者がいることを知ってほしいのです。きちんと印刷された本を並べることで、売り上げも伸びると思いますよ。
(記 2017.12.6 平成29)