会社を定年退職して10年余り。現役時代、あれほど元気だった同輩も幾人かが亡くなり、先輩・後輩を含めると、かなりの同僚が鬼籍に入ってしまいました。
そのなかに、こんな二人がいました。「退職後、すぐ無職になるのはもったいない」と言って、ひとりは「裁判所の調停委員」、もうひとりは「奈良の大寺院の嘱託」の仕事に就いたまでは良かったのですが、5~6年勤めて辞めた後、あっという間に死んでしまったのです。
いやはや、気の毒なことをしたものです。借金が残っていたわけでもないので、定年後は再就職などせず、「退職金」を抱えてあちこち旅行などしておれば冥途への土産話もふくらんだのに…と、私なぞは思うわけです。日本人は堅実です。決して悪いことではないのですが。
一方、私はといえば、その後はどこにも勤めず、たまの旅を楽しんでいます。国内は沖縄に数回、それに九州や四国、東北などを巡り、海外はハワイ、グアム、ベトナムを経て、いよいよこれからインド、中東、ヨーロッパなどを回りたい、と思っていた矢先に、世界を震撼させている“イスラム国(IS)騒動”で身動きがとれなくなってしまいました。無理強いをすれば行けないことはないのですが、そこは“君子危うきに近寄らず”の故事を守って、現在は国内を“深く知る”ことをめざしています。
ところで、私が勤めていた会社(報道関係)からは、ありがたいことに退職後も『社内報』が送られてきます。在職中はずっと月刊でしたが、あのリーマン・ショック以来、季刊になってしまいました。
先日、今年の「春号」が届いたので、さっそく読み始めました。表紙には<入社おめでとう><17年度入社式><新入社員の横顔><『1年生社員』からのエール>といった文字が並び、新入社員全員集合の写真が大きく載っています。毎年変わらぬ編集ですが、「あふれる笑顔」にあたたかいものを感じる瞬間でもあります。
さて、ページをパラパラとめくっていくと、楽しみにしていた「新入社員代表あいさつ」がありました。その一部を引用します。
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<新入社員代表あいさつ>
多様な生き方や価値観、問題意識を持った私たち
異なる意見ぶつけ合い、よりよい報道めざしたい
A・N (註=氏名)
私は幼いころから読書と映画鑑賞に時間を費やしてきました。……
何を学んだのでしょうか? それは人間の生き方や価値観がいかに多様であり、またいかに、それぞれが肯定されるべきものであるかということです。……
中学校では運動部に所属したものの、押し付けられる協調性とそれに伴う没個性は耐え難いものでした。そんな私にとって数少ない救いであったのが読書と映画です。これらはいつも、教室と部活に閉じ込められた私を、想像と思考への世界へと連れて行ってくれました。
15歳のころ、ドストエフスキーの小説『罪と罰』を初めて読みました。……世の中にはこんなにも情熱的に、また、とうとうと神の存在や人間の実存について語る人々がいるのかと驚かされました。出る杭は打たれる、良くも悪くも何かと同調圧力が強いこの国ですが、ドストエフスキーらの作品を通して、人生はダイナミックに、また自分らしく生きていいのだと確信が持てました。
また三島由紀夫や大江健三郎の小説の登場人物たちからもいかに多様で、また情熱的なことでしょう。二人の作品のスタイルは全く異なり、政治的価値観はほぼ真逆ともいえます。どちらが良い、悪いというのではなく、異なる意見や才能こそが私たちの文化、ひいては生活を豊かにするものだと思います。………
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ここまで読んで、いちど反芻し、目を閉じたのです。「うーん、時代は確実に変わっている」
というのは、私たちが就職をめざしていた昭和の時代、つまり1955年(昭和30)~1973年(昭和48)の高度経済成長期には、とてもこのような発言は出来なかったのです。実質経済成長率は年平均10%を超えており、この間の好景気のことを「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」などと呼んでいました。日本人にとっては、いっときの豊かさに酔いしれていた時代だったのです。そして起業家たちは、その時代を支えていたサラリーマンを“企業戦士”と呼んで発奮させていたのです。
面接では必ず、「運動部では何をやっているか?」と聞かれ、とくに体力を必要とする営業関係では入部していることが合格への必須条件でした。学生たちは仕方なく?われもわれもと「運動部」をめざしたのです。したがって、A・N君が言う「人間の生き方や価値観」「異なる意見や才能」といった理性的な面はさておいて、ひたすら猛進する人物が求められたのです。運動部に入っていない学生は軟弱で覇気がないと見られたのか、企業戦士としては勤まらないとの烙印を押されたのです。
ところが世の中、いつまでも好景気が続くわけがありません。その後、バブル崩壊、リーマン・ショックなどを経て、「負の遺産」を抱えるようになった国民の意識も大きく変わりました。
「中学校では運動部に所属したものの、押し付けられる協調性とそれに伴う没個性は耐え難いものでした。」と、みずからの体験を通して「運動部の内実」を分析したA・N君――ですが、「運動部の本質」がすべてがそうだとは言い切れないにしても、そのことを忌憚なく入社式のあいさつで述べることの出来るようになった現在という状況について、私自身もふかく考えさせられました。
世界は大きく揺れています。冷静さを失い、我欲のるつぼと化すかもしれない国家という存在。いつ、戦争が始まってもおかしくない状況がわれわれのすぐそばにあるのです。
しかし、それらを報道するものは冷静であり、決して踊らされてはならない、ということを肝に銘じなければなりません。A・N君の将来に期待したい。
(記 2017.5.24 平成29)

