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こんにちは。
ここでお会いできるのも、何かの「ご縁」があるからですね。
まず、はじめに。
ペンネームの「のむらりんどう」ですが、
その意味はこうです。
「のむら」は、私の現在の苗字です。高校生の時に義兄と縁組した養子姓です。時代をさかのぼり、公家だった先祖は「烏丸(からすまる)」を名乗っていました。
「りんどう」は、花の「竜胆」ではなく、「鈴堂」と「鈴動」のふたつをイメージしています。「鈴」は風鈴になぞらえた私の意識であり、この世からあの世へ、あの世からこの世へメッセージを送受する主体です。「堂」はその交流の場となる地球であり宇宙です。そして「動」はエネルギーを意味しています。
さて、この世に生きる私自身ですが、哲学的には『不二一元』の立場です。
ウィキペディアによれば、[不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。]とあります。まさにその通りですね。
『不二一元論』は、私の知識にはありましたが、突然、わが身に出現した神秘体験(光体験)で<真我意識>を感得し、「梵我一如思想」に目覚めたのです。2002年の秋のことでした。
それ以前、<自我意識>だけを纏っていた私は、自己を「物質」と「精神」に分ける『二元論』の支配下にありました。「自我意識のみが意識である」とする「唯脳論」に何の疑問も抱かず、ものごとを考えて来たのです。(当然でしょう。それで何の不都合もなかったのですから…)
しかし、「神秘体験(光体験)」によって覚醒された私は、こう気づいたのです。「地球上に生きるわれわれは<自我意識>だけでなく、宇宙とともにある<真我意識>も持ち合わせている」と。
(注=「テーマ・悟りから聖者への道」で詳細を紹介します)
たとえば、「善悪」という概念――。この世の<自我意識>下にあるわれわれは、これを「善」と「悪」という『二元』の思考でとらえます。これは脳が発現する観念で、観念は意識を通じて肉体(行動)へと進みます。「善悪」が象(かたち)となって現れるのです。
しかし、宇宙とともにある<真我意識>はそうではありません。『不二一元』下の「善悪」は意識として「在る」だけで、象(かたち)に成らないのです。表象されないのです。
インドの聖者、ラマナ・マハルシは言います。
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完全なる平和は「沈黙」にしかない
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人類は、いつになれば、この「沈黙」の意味を
理解するでしょうか。
― 考えつづけます ―