◆「ブログ」を書くにあたって―― | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

          ◆ 「ブログ」を書くにあたって――

 

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    こんにちは。

 

  ここでお会いできるのも、何かの「ご縁」があるからですね。

 

  まず、はじめに。

       ペンネームの「のむらりんどう」ですが、

       その意味はこうです。

 

 「のむら」は、私の現在の苗字です。高校生の時に義兄と縁組した養子姓です。時代をさかのぼり、公家だった先祖は「烏丸(からすまる)」を名乗っていました。

 

りんどう」は、花の「竜胆」ではなく、「鈴堂」と「鈴動」のふたつをイメージしています。「」は風鈴になぞらえた私の意識であり、この世からあの世へ、あの世からこの世へメッセージを送受する主体です。「」はその交流の場となる地球であり宇宙です。そして「」はエネルギーを意味しています。

 

 さて、この世に生きる私自身ですが、哲学的には『不二一元』の立場です。

 

ウィキペディアによれば、[不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。]とあります。まさにその通りですね。

 

『不二一元論』は、私の知識にはありましたが、突然、わが身に出現した神秘体験(光体験)で<真我意識>を感得し、「梵我一如思想」に目覚めたのです。2002年の秋のことでした。

 

  それ以前、<自我意識>だけを纏っていた私は、自己を「物質」と「精神」に分ける『二元論』の支配下にありました。「自我意識のみが意識である」とする「唯脳論」に何の疑問も抱かず、ものごとを考えて来たのです。(当然でしょう。それで何の不都合もなかったのですから…)

 

 しかし、「神秘体験(光体験)」によって覚醒された私は、こう気づいたのです。「地球上に生きるわれわれは<自我意識>だけでなく、宇宙とともにある<真我意識>も持ち合わせていると。

 (注=「テーマ・悟りから聖者への道」で詳細を紹介します)

 

 たとえば、「善悪」という概念――。この世の<自我意識>下にあるわれわれは、これを「善」と「悪」という『二元』の思考でとらえます。これは脳が発現する観念で、観念は意識を通じて肉体(行動)へと進みます。「善悪」が象(かたち)となって現れるのです。

 

 しかし、宇宙とともにある<真我意識>はそうではありません。『不二一元』下の「善悪」は意識として「在る」だけで、象(かたち)に成らないのです。表象されないのです。

 

 

  インドの聖者、ラマナ・マハルシは言います。

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  完全なる平和は「沈黙」にしかない

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   人類は、いつになれば、この「沈黙」の意味を

   理解するでしょうか。

 

 

               ― 考えつづけます ―