きのうの夕方(2016年5月27日)、オバマ米大統領がアメリカの現職大統領として初めて被爆地・広島を訪れました。
平和記念資料館(原爆資料館)を視察し、原爆死没者慰霊碑に献花・黙祷をささげました。その後の演説で、「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と述べたのです。
原爆投下から71年。大統領と被爆者との対面は恩讐を越えて、両者のわだかまりを氷解させる一幕でした。広島訪問を実現させたオバマ大統領の行動は、称賛されるべきものだったと思います。しかし、そうだといって今すぐに世界から核兵器がなくなるわけではありません。2016年5月現在、核保有国はロシア、アメリカ、フランス、中国、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の9カ国で、その数は約1万5千発と驚くべき数に上っています。
「オバマ大統領のスピーチ」(抜粋)は、次のような内容でした。
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71年前、よく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは我々人類が、自分たち自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。
10万人を超える日本の国民の方と、そして何千人もの朝鮮の人々が命を落としました。
その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのようになろうとしているのか語りかけています。
広島だけが特別なのではありません。暴力的な争いは古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人間同士の争いにもこのような武器が使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は争いの歴史に満ちています。
富をもとめ、また民族や宗教的な理由からもこうした争いが起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。そして人々が同じ人間に支配され、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない人たちが苦しみました。多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れ去られました。それが人類の歴史であります。
空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考えや想像、言語、道具など、私たちが自然とは違うということを示す能力、そのものが大きな破壊の力を生み出しました。
いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけたやすく私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。
私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いていますが、それが決して人と争う理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。
科学によって私たちは海を超えてコミュニケーションをします。また空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な争いの道具となってしまうこともあります。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、最悪の未来の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。
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この中で、私が注目したのは次の3点でした。
①「その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。」
②「富をもとめ、また民族や宗教的な理由からもこうした争いが起こってきました。」
③「私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いていますが、それが決して人と争う理由になってはいけません。」
①は、亡くなった人たちの「魂」に言及し、『人間はみずからが作り上げた「鬼(核兵器)」を利用する狂気と傲慢さに気づき、もっともっと深く自分の内側を見るべきだ』と、自省とともに理性の覚醒を促しています。
②、③は、とくに『宗教』の不条理を述べています。愛や慈しみをみちびくべき宗教が、逆に宗教間の対立を招いて争いの種になっていることを指摘しているのです。人類は今、宗教を超えなければなりません。
政治家オバマ氏は哲学者です。かつ内省的な人ゆえに、広島に足を運ばずにはいられなかったのでしょう。私はそう思います。
(記 2016.5.27 平成28)