*随想(13) 菅原都々子さん、「連絡船の唄」に私も泣きました | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 3月23日(2016年)の夜、BS朝日のテレビ番組「日本の名曲 人生、歌がある『哀歌の女王』菅原都々子特集」で、久しぶりに菅原都々子さん=写真=を拝見しました。1927年(昭和2)のお生まれなので、現在89歳。とてもそのお歳には見えません。お顔も若々しく、凜として歌われるその姿に感動しました。 

 

 スタジオでは、出演者数人が椅子に座った菅原都々子さんのそばで持ち歌を歌い、最後にご本人が「連絡船の唄」を歌われたのです。

   

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       連絡船の唄 

              作詞:大高ひさを 作曲:金海松)

 

      思い切れない 未練のテープ
      切れてせつない 女の恋ごころ
      汽笛ひと声 汽笛ひと声
      涙の波止場に
      わたし一人を 捨てて行く
      ・・・連絡船よ      

                    (二、三番 略)――――――――――――――――――――――――――――――――

 

さすが、「エレジー(悲歌)の女王」と云われただけあって、そのビブラートは健在でした。歌い終わったあと、出演者のキム・ヨンジャが泣き、五木ひろしが泣き、それを見た藤あや子ももらい泣き……。テレビを見ている私も涙を流していました。

 

いまどき、このような歌手がおられるでしょうか。歌は「心」で歌うものだということを視聴者は十分に理解したと思います。プロの出演者全員が涙を流しているテレビ番組というものを初めて見た瞬間でした。

 

                 +

 

 中学生の頃です。私は、なれるものなら演歌歌手になりたいと思ったことがあります。それは私自身の境涯から湧き上がって来たのでしょうが、とにかく演歌が好きでした。

 

 は叶いませんでしたが、人生のたそがれ時にさしかかった今、時どき娘に食事を誘われて、そのあとカラオケ店で演歌を歌います。さだまさしの「無縁坂」を歌うと、自然に涙が流れ落ちます。幼い私を残してこの世を去った実母の慟哭が、裏声となってあたりを震わせるのです。

 

                      (記 2016.3.29 平成28)