
みなさんは、「ランナーズ・ハイ」というものをご存じでしょうか?
マラソンで、走っている選手が30キロあたりまで来たとき、突然、意識が身体から脱け出して、自分の後方5~6メートル、地上2~3メートルあたりから「走っている自分」を眺めるというものです。
この時、自分の意識は完全に後方の上空にあるわけで、走っている肉体にはありません。後ろにある意識は、前を行く肉体に「もっと速く走れ」というわけでもなく、「しんどい」と感じることもないのです。
ふつう、そのような意志や感情があらわれるのは、肉体の疲労が脳に伝わり、意識がそれを感じとるからですが、肉体を離れた意識には「脳」との交流がないため、何の疲労感も感じず、苦痛もないわけです。
ただただ、前を走っている肉体に、意識は後ろからついて行くだけです。
このことから、意識というのは常に肉体に付随しているものではなく、状況次第で人間の体から離れたり浮遊したりするものである、ということになります。
意識は「脳」にある、というのが現在の常識ですが、他の「臓器」とも連絡していると考えられます。意識が脳を通じてこの世に「心」を現出させるものであることは私も認めますが、「心」を閉じれば自我意識は消え、真我の意識に収斂されて「浮遊」するものであることは、私の神秘体験からもそうであると確信を持って言うことができます。
私は子どものころからマラソンが好きでした。小学校では毎年、冬の行事として10キロマラソンが催されていましたが、今はクルマが道路を“占拠”しているため、とてもマラソン大会などはできません。当時はクルマも少なく、山際を走るマラソン大会が楽しみでした。
その時のことですが、練習でも本番でもゴールの手前千メートルくらいになると、身体の疲労感がなくなり、ふわっとした気分で、いくらでも走れるのです。これが今、脳内麻薬物質のエンドルフィンが分泌されて苦痛が消えるためだといわれるものです。
そのころ、どういうわけか、夢の中でしょっちゅう「ランナーズ・ハイ」を“体験”していました。後方上空から自分自身を眺めながら走っている夢でした。そのころはまだ、「ランナーズ・ハイ」の概念も知らず、ヘンな夢を見るなあといった程度でしたが。
ところが、神秘体験後に分かったことなのですが、これらの現象は身体の中のエネルギーが費消されて“死に体”状態になったときに起こるものだったのです。このことから、「意識はエネルギー」であるということが分かります。肉体にエネルギーがあるから意識は存在するのであって、エネルギーがなくなれば意識はそこを離れます。これは生物、いわゆる「生命」を持つものに共通しています。生命はエネルギーですから、生命がなくなれば意識はそこを離れます。個人の意識は消え、宇宙に遍満するわけです。
心理学者で臨死体験者のユングは、次のように言っています。
「人は意識によって存在し、意識が思考を生み出し、思考が新たな意識を創造する。したがって脳が意識を生み出しているというよりも、ある集団的無意識が人間の脳を創生させていると考えるべきである。人の深層無意識には物質を生み出し、現象として活性化させるパワーとパターンが存在する。……」
この言葉こそが、現在の「量子力学」を支える理念となっているもので、実在すると思っているこの世は、じつは幻想でしかないということを示しています。
意識って本当におもしろい。
(記 2015.10.7 平成27)