Δ短歌 鑑賞   鈴木 敬子 | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 

 

 

    NHK語学講座は昔日の平和の北京を背景とせり

 

                    鈴木 敬子

 

 

 まさかと思ったことが起きた。6月4日、天安門広場での惨状。戦後、輝かしい歴史を築いてきた中国のことだけに、分からない。玉石倶に焚かんとする愚は、中国3000年の歴史が泣く。

 

 ところで、軍による数千の学生や市民への虐殺は、あまたの人によって詠まれ、新聞や雑誌に掲載された。なかでも、鈴木さんのこの歌には、他の人とは違った感懐をおぼえた。事件からすこし時間をおいて、自身の生活との関係で見ることの大切さ。

 

 作者は中国語を勉強されているのであろうか。目の前のテレビ画面には、たぶん天安門広場や頤和園などが、まるで何事もなかったようにしずかなたたずまいを見せている。「すると、あの夜の出来事は何だったのか」。余計、作者につよく迫ってくるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

               (歌誌「ハハキギ」10月号所収 平成元年 1989