Δ短歌 実作  歌誌「ハハキギ」作品 ―13― | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 

   歌誌「ハハキギ」作品 ―13― (昭和63年後期 1988

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[7月号]

 

 中山の百坪ほどの窪地なる桜の下に人ら憩へり

 

 限りなくふぶく桜よ幾ひらか我に纏ひて花紋のごとし

 

 一服の薄茶喫する店先に揺るは不昧公の名のある紫旗

 

 淡水化か否かの議論など知らず宍道湖しづかに水湛へをり

 

 芽吹きたる木々のあはひに春の雪頂く大山はるかに見えて

 

 昨夜よりの雨に濡れたる鳥取の砂丘の上を朝風わたる

 

 犬二匹じやれつつ砂丘のふところに見え隠れして早春の朝 

 

[8月号]

 

 傘ひとつ鞄に詰めて出掛けゆく我サラリーマン六月が来ぬ

 

 妻と子の出掛けしあとのテーブルに矢車菊の小さき環五つ

 

 ふらふらと登り来たりて階段の切れたるところに祠のひとつ

 

 このあたり初めて来しとふ旅人と案内の我の歩調の合はず 

 

[9月号]

 

 夕暮れの湖を眺めて憩へるはこの週末のわが家の五人

 

 湖べりは若者のものか大方はサーフボードに占められてをり

 

 あれこれと思ひわづらひ人物を評する我も評されゐるか

 

 けさもまた川柳一つ増えてをり思はずほほ笑むわが社のトイレ

 

 すぐ裏に私立学校新設され我が家の前は通学路といふ
 

[10月号]

 

 勤務表つけ終へて吐く溜息の中に部員の日々の生活

 

 人を見る我が目も多少変はりしか彼の悩みの裡を知るとき

 

 今日もまた長き会議の引けしあと帰途の車中に原阿佐緒歌集

 

 夏休み家族と向かふ伊豆半島群発地震また発生といふ

 

 夢なかに蹴りたる足は空を切りうつつの箱に当てて傷める 

 

[11月号]

 

 ちやうど良き距離を保ちてわらぶきの竪穴住居は夏の陽を受く

 

 八月の登呂の遺跡に点在するわらぶき屋根に小雨落ち来ぬ

 

 宿題を抱へし子らは丹念に竪穴住居の中を覗きぬ

 

 湯煙は驟雨に消されふつふつと湧く湯の面の上を這ひゐる

 

 幼き日覗きし舞台の情景など思ひ浮かべて修禅寺に入る

 

 その名より受けしイメージ抱きつつ谷へ下りゆく浄蓮の滝

 

 天城山越えゆくバスの窓はるか見えてわさび田幾段幾枚 

 

[12月号]

 

 喧騒に朝を眠れぬ夜勤明け学校ひとつ出来て我が日々

 

 苦情の声を上ぐれば日を置きて暴力団から深夜の電話

 

 天皇と五輪に耳をそばだてて九月の休日けふも暮れゆく

 

 堀端の雨の夕暮れ傘の列後に続けば記帳所の前

 

 掌を合はすはたまた腰をふかぶかと折りたる人ら二重橋付近

 

 拝むといふ行為を見れば恥づかしさ伴ふ我の内なるものは