歌誌「ハハキギ」作品 ―13― (昭和63年後期 1988)
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[7月号]
中山の百坪ほどの窪地なる桜の下に人ら憩へり
限りなくふぶく桜よ幾ひらか我に纏ひて花紋のごとし
一服の薄茶喫する店先に揺るは不昧公の名のある紫旗
淡水化か否かの議論など知らず宍道湖しづかに水湛へをり
芽吹きたる木々のあはひに春の雪頂く大山はるかに見えて
昨夜よりの雨に濡れたる鳥取の砂丘の上を朝風わたる
犬二匹じやれつつ砂丘のふところに見え隠れして早春の朝
[8月号]
傘ひとつ鞄に詰めて出掛けゆく我サラリーマン六月が来ぬ
妻と子の出掛けしあとのテーブルに矢車菊の小さき環五つ
ふらふらと登り来たりて階段の切れたるところに祠のひとつ
このあたり初めて来しとふ旅人と案内の我の歩調の合はず
[9月号]
夕暮れの湖を眺めて憩へるはこの週末のわが家の五人
湖べりは若者のものか大方はサーフボードに占められてをり
あれこれと思ひわづらひ人物を評する我も評されゐるか
けさもまた川柳一つ増えてをり思はずほほ笑むわが社のトイレ
すぐ裏に私立学校新設され我が家の前は通学路といふ
[10月号]
勤務表つけ終へて吐く溜息の中に部員の日々の生活
人を見る我が目も多少変はりしか彼の悩みの裡を知るとき
今日もまた長き会議の引けしあと帰途の車中に原阿佐緒歌集
夏休み家族と向かふ伊豆半島群発地震また発生といふ
夢なかに蹴りたる足は空を切りうつつの箱に当てて傷める
[11月号]
ちやうど良き距離を保ちてわらぶきの竪穴住居は夏の陽を受く
八月の登呂の遺跡に点在するわらぶき屋根に小雨落ち来ぬ
宿題を抱へし子らは丹念に竪穴住居の中を覗きぬ
湯煙は驟雨に消されふつふつと湧く湯の面の上を這ひゐる
幼き日覗きし舞台の情景など思ひ浮かべて修禅寺に入る
その名より受けしイメージ抱きつつ谷へ下りゆく浄蓮の滝
天城山越えゆくバスの窓はるか見えてわさび田幾段幾枚
[12月号]
喧騒に朝を眠れぬ夜勤明け学校ひとつ出来て我が日々
苦情の声を上ぐれば日を置きて暴力団から深夜の電話
天皇と五輪に耳をそばだてて九月の休日けふも暮れゆく
堀端の雨の夕暮れ傘の列後に続けば記帳所の前
掌を合はすはたまた腰をふかぶかと折りたる人ら二重橋付近
拝むといふ行為を見れば恥づかしさ伴ふ我の内なるものは