8月4日~6日

今年も原水禁広島大会に参加してきました。

枚方地区実行委員会では、今年は11人の参加で、私は団長としての参加となりました。

 

例年通り、4日9時半に枚方市駅コンコースで団結式をおこない、枚方市被爆二世の会から千羽鶴を預かり、出発しました。

広島駅に着くと、昼食にまずお好み焼き。満足!

ホテルに荷物を預け、資料をもらいに行き、原爆の子の像の所で、預かった千羽鶴を奉納しました。

 

 

 

その後は、平和公園~県立総合体育館までの折鶴平和行進。

とにかく暑い!のひと言に尽きるのですが、毎年参加していると、だんだん短く感じるものです。

 

17時から、被爆78周年原水爆禁止世界大会・広島大会 開会総会が行われ、大会共同実行委員長の主催者あいつ、福島報告、被爆者の訴え、高校生活動報告、海外ゲストスピーチ(ビデオスピーチもあり)、大会基調提起が行われ、全員で「原爆を許すまじ」を唄い、秋葉忠利現地実行委員会代表委員の閉会挨拶で終わりました。

高校生平和大使の報告には、「私たちは、微力だけど、無力ではない」という言葉を聞いた年々も前から、ずっと続いていて、人数も増えているように思います。高校生の活動に未来を感じますね。

最後の秋葉元市長の挨拶は、G7広島サミット批判等とても力強かったです。

 

5日(土)は、分科会・広場・フィールドワーク

昨年も女性部から参加していたKさんとMさん、次はフィールドワークで大久野島に行きたいとの願いが叶い、私と枚教組副執行委員長のAさんと4人で、バスツアー大久野島「ヒロシマと戦争」に参加しました。

朝7:15分に原爆資料館前に集合、解散予定は17:30。

バスで2時間近く、忠海港へ。そこからフェリーに乗って、大久野島港着。

フェリーから見える大久野島

木陰で、毒ガス研究所の山内さんから、「毒ガス島の歴史について」について学びました。

広島に来たら、原爆被害の話が中心ですが、被害者だけではなく、加害者としての日本を必ず知ってほしい、ということを何度も強調されました。

そうです。国際的に禁止されていた毒ガス兵器を作っていたので、戦争中はこの島は地図からも消えていたそうです。

明治以降軍事的な用地として島で、日露戦争前につくられ

た砲台の建造物も残っています。

 

 

発電所跡

 

毒ガス貯蔵庫跡

 

ガスタンクが置いてあった

 

 

 

 

毒ガス資料館

別名うさぎ島とよばれ、休暇村には観光客が多く訪れていました。

 

1929年陸軍造兵廠火工廠忠海製造所完成、毒ガスの製造始まる。

1937年日中戦争がはじまると毒ガスの生産量が急増、日本軍は国際法上禁止された毒ガス製造と毒ガス使用を隠しながら、日中戦争で使用し、多くの中国人を殺傷しました。

敗戦直後、大久野島に周辺地域に置かれていた毒ガスも集められ、1946年5月より毒ガス処理が行われた。

本来なら化学兵器の専門部隊で行われるべき危険な作業を毒ガスの危険を知らない民間人が行ったため作業に従事した多くの人が毒ガス障害で悩まされることになった。国は何の保障も行っていない。

また、敗戦時、国際条約に違反した毒ガス使用の事実を隠すために、中国のあちこちの畑や川の中などあちこちに毒ガスを捨てて帰りました。戦後、2000人以上の中国の人たちが、農作業や下水道工事などの時、埋もれていた遺棄毒ガスによって被害にあい、現在も後遺症に苦しんでいます。戦争が終わっても平和に暮らしている人を傷つけ生活を破壊しているわけです。非人道的なことを日本軍は行ってきたのです。

つくづく日本という国は、酷いことをしてきたのだ、と。

また、現在の大久野島は、海洋投棄、焼却、島内埋没などの処理だったので、環境汚染に影響を及ぼし、ヒ素汚染とも関係がある可能性がある、とのことでした。地下水脈にヒ素など流れ込んでいる可能性があり、本島から給水を受けている現実を知りました。船で水を運んできているのです。

ひたすら暑い中の島を一周し、案内役の方の熱弁に刺激を受け、充実した学習となりました。

戦後78年、戦争で唯一の被爆国であること、そして国際法違反の毒ガス兵器を製造し、中国で使用していたこと、また、捨ててきたこと等、加害の事実も決して風化させてはならない、と強く思うFWでした。

 

6日(日) 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

今年は、一般席が用意されているとのことだったので、6時30分開場なので、早起きをして会場へ。

荷物検査等がおこなわれ、会場内に入り、ゆっくりと式典に参加することができました。

モニターが用意されていたので、市長の平和宣言や、こども代表の平和の誓いなど、見えにくいところだったので、モニターを写真に収めました。

 

 

5月に、広島でG7サミットが行われ、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が独立の文書としてまとめられましたが、各国は、核兵器が存在する限りにおいて、それを防衛目的に役立てるべきであると安全保障政策保障政策をとっているとの考えが示されたわけです。ロシアとウクライナのことを考えると核抑止論で、戦争を終わらすことはできないのではないかと思わずにはいられません。

平和宣言では、各国の為政者には、核による威嚇を直ちに停止し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けて踏み出すこと、日本政府には、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となることを強く求めていました。

広島出身の総理大臣は、どんな思いで平和宣言や平和への誓いを聴いていたのだろうか、と。

 

改めて平和な日本を世界を実現させるために、何ができるのか、を皆さんと共に考えていきたいです。