10月23日(日)

部落解放共闘女性連絡会議一泊研修会が、22〜23日に行われました。

私は前日には、10.22の集会に参加してたので 2日目のウトロ平和祈念館見学・FWだけ参加しました。

 

戦時下京都飛行場建設の仕事があると、仕事を求めてこられた朝鮮の人々、また、連れてこられた人々が、飯場に家族で住むことができたまちでした。

その当時、家族で住む場所があり、賃金・配給がもらえる場所が多くあった訳でなく、国の仕事なので徴用されることもないということだったそうです。

それが、8月15日日本の敗戦が報じられ、喜びもつかの間、工事中断と同時に食糧配給が立たれたまま放置されました。日本軍がいなくなり、仕事もなくなったということです。住むところはあるけれど、水もない、雨が降れば浸水するなど、という劣悪な環境でありました。

土地問題など様々な困難に直面しながらも声を上げ続けた人々と、ウトロに寄り添ってきた日本・在日・韓国の市民が協力して、人々の尊厳と生活を守ってきた歴史があります。

20代前半の若者が、インターネットからの情報のみで、偏見と差別で放火事件を起こしました。恐ろしいことです。フィールドワークでは、放火された跡などをみせてもらいました。

出会ってお互いを知ることができれば、そんなことも起こらなかったでしょうに…と、田川館長は何回も言われました。

それは、障害のある人とちゃんと地域で出会っていたら、相模原障害者施設での事件は起こらなかった、と同じです。

 飯場をそのまま移築

 飯場の屋根

 放火された倉庫

 類焼した家

 焼け跡ばかりでは辛いので、日常にある唐辛子を植えたそうです。

 民族学校となった建物

 屋上からは自衛隊の基地、左は学校。元々は、学校の地面と同じ高さ であったのが、土を掘りだし飛行場の滑走路に使用したため、ウトロのまちは高低差ができ、雨が降るとウトロ地区が浸水することになったそうです。

 

ウトロというまちを守ってきたそのような思いから

「ウトロに生きる ウトロで出会う」 という言葉が刻まれるように なったんだと、思いました。

戦争から生まれたウトロという地域を守り抜いた人々の姿を通じて、人権と平和の大切さ、共に生きて出会うことの素晴らしさを伝えていける場所、それがウトロ平和祈念館です。(冊子から)

 

1人でも多くの人が、ウトロで出会っていただきたいです。

 

立憲民主党大阪府連ジェンダー平等推進委員会のメンバーが多く参加していたので、久しぶりに解散後昼食をともにしました。

一緒に食べて、しゃべって…楽しかったです。

 

その後、私は、大阪まで

チャクラでのよしだよしこさんのライブに出かけました。

久しぶりに石川逸子さんの詩の唄を聴くことができました。

石川逸子さんの詩の朗読の後の、サリーアンの唄には、心が震えました。

チャクラというお店の雰囲気とよしこさんのすべてがマッチしていて、とっても素晴らしいライブ(^^♪

誕生日の私には、素敵なプレゼントでした、と勝手に思っています。

久しぶりのダルシマー