8月4~6日

原水禁枚方地区実行委員会派遣団17人で、原水禁広島大会に参加しました。今年は私が団長です。新人の奥野議員、山田府議会議員も参加しました。

 

4日9:30に枚方市駅に集合し、結団式 

それぞれ新大阪に向かい、昼過ぎに広島駅につきました。

以前はいつだったのか…枚教組から御澤さんと千葉ちゃんと一緒に、2016年でした。イタリアンの夕食、5日の午後の宮島等々思い出しながら、一人センチメンタルになってしまいます。

広島駅の駅ビルが新しくなっていました。恒例の広島焼きを食べて、ホテルへ。荷物を預けて平和公園へ。

枚方市原爆被害者二世の会から預かった千羽鶴を原爆の子像のところに奉納し、折鶴平和行進に参加しました。とにかく暑い!

 

 

 

 

そのまま被爆74周年原水爆禁止世界大会・広島大会 開会総会に参加、海外来賓の挨拶、被爆者の訴えや第22代高校生平和大使の代表挨拶、福島からの報告、大会基調提案があり、最後は参加者全員で「原爆を許すまじ」を歌って終わりました。

第22代高校生平和大使

 

5日は、午前は第6分科会に参加し、「脱原子力Ⅲ-福島の現実と課題」「終わらない福島原発事故と刑事裁判」をテーマにお二人方の報告を受けました。

福島の現実と課題では、学校が再開しても子どもの帰還は進まず、福島県全体の子どもの数が減少しているとのこと。

低線量被ばくの中での生活と健康問題で、県民健康調査甲状腺検査結果で不安な数字結果、原発事故との因果関係は認められるものではないというが、やはり健康調査の継続が必要であるし、19歳以上の医療助成の必要性なども述べられていました。被ばく問題では、モニタリングポストの撤去問題もあり、除染廃棄物の保管、管理の問題もあります。

そんな中、7月31日東電は福島原発(計10基)の廃炉を決定!

「核と人類は共存できない」ことを改めて共有しました。

福島原発事故と刑事裁判では、東京電力福島第一原発事故の責任を問い、双葉から避難を余儀なくされた病院と老人保健施設の44人もの患者や入所者らを、避難の移動中や搬送先で無念の死に追いやった、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3被告人に対する刑事裁判について、そして立証された過失責任や証拠の詳細をYoutube「東電刑事裁判 動かぬ証拠と原発事故」を観ることで確認しました。

東電の経営を優先した原発建設や、津波対策は許せるものではありません。

 

 

 

午後は、今年リニューアルオープンした広島平和記念資料館を見学しました。
以前の展示より、全体的に暗く、重くなった感があります。以前は遺品や原爆の威力の凄さがわかる展示が主でしたが、遺品を身につけていた子どもの写真が、一人ひとり遺品とともに展示されています。8月6日午前8時15分までそれぞれにストーリーがあったことが明らかにされ、よりリアリティを感じました。

また、そんな朝早くから爆心地付近に、建物疎開に多くの子どもたちが動員されていたことを初めて知りました。

同じ様に原爆被害者としての外国人についても展示されるようになりました。

原爆被害の状況を描く絵も展示されるようになりました。
資料館の中は多くの見学者でなかなか前に進めませんでしたが、74年目を迎え、語る人たちも少なくなっていく現実があります。だからこそ原爆被害の実相を多くの人が知ることは大切です。

知ったことを伝えていくこと、核も戦争もない平和な社会を実現するためにできることを…
そして、「核と人類が共存できない」ことを改めて確認しました。

 

6日は、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典に参加しました。 これまで数回参列していますが、雨の中の式典は初めてでした。

「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい」と広島市長は平和宣言で述べました。

しかし、安倍総理大臣の挨拶は、その求めに触れることはありませんでした。

9日の長崎での式典でも同じく触れることはなく、唯一の戦争被爆国の首相として恥ずかしくないのだろうか⁉

 

新聞広告されたものです