5月18日(土)
まず、17日の立憲民主党大阪府連合自治体議員ネットワーク臨時総会で役員体制が決定し、代表を務めることになったので、常任幹事会に出席しました。自治体議員ネットワーク代表は、大阪府連合の副代表にも自動的になるそうです。
常任幹事会で、参議院選挙に向けての体制が決定されました。副本部長になり、事務局会議にも参加しました。
いよいよ参議院選挙へ動き出しました!!
大阪選挙区では、かめいし倫子さんが予定候補者です。
「ささやかでかけがえのない自由を守るため」このフレーズ好きです。頑張りましょう!
お昼からは、「さよなら戦争 さよなら原発 市民のつどい」の集まりが枚方市民会館小ホールであり、参加しました。
まずは、DVD上映 ①終の住処を奪われて(福島原発被害東京訴訟ドキュメンタリー) ②もんじゅダイジェスト
そして、アーサー・ビナードさんの講演「子どもたちに平和の未来を!」
正直この日まで、私はアーサー・ビナードさんを知りませんでした。
でも話始められたその内容、その人柄に魅了されてしまいました。
20歳でヨーロッパにわたり、ミラノでイタリア語を習得。大学4年生の時卒業論文を書く際に、ひらかな・カタカナの日本語・漢字に興味を持ち1990年の卒業と同時に単身来日。来日後、通っていた日本語学校で教材として使用された小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を英訳したことをきっかけに、日本語での詩作、翻訳を始められたそうです。現在は広島在住。
言葉の持つ意味というのか力というのか、特に日本語は、漢字表記、ひらかな表記、カタカナ表記で与える印象が異なります。
「広島(廣島)・ヒロシマ・ひろしま」その違いに言及されたのが、とても印象的でした。
その前段が、アメリカでの定説についてでした。
「原爆によって、 第二次世界大戦を早く終わらすことができた」が学校での副読本にもあるそうです。「Why did Hiroshima happen?」
この「Hiroshima」は「ヒロシマ」のことですね。
アーサー・ビナードさんは、先生の言うことを素直に聞く子どもではなかったそうですが、信じていたそうです。今でも一般的に思われているそうです。
しかし、彼が22年前に初めて広島を訪れたとき、「アメリカの定説は違う!」と気づいたそうです。
被爆=全滅、生存している人はいないと思っていたそうです。
被爆体験者の話を聴くことで、気づかれたこと、「原爆」という言葉を誰も使っていない。「ピカぁ」核分裂を起こしていたそのままを表現。体験者が表現した言葉「ピカドン」に。
東京に戻って、友だちに「ピカ」という言葉を使ったとき、広島から遠く離れていても、体験者の近くにいる感覚になったと。
広島原爆は、ウラン爆弾
長崎原爆は、プルトニウム爆弾、広島の1.5倍の破壊力
ウランは天然資源だが、プルトニウムは、原子力発電の原子炉の中でつくられます。
その大きな違いがあるわけです。
アメリカは、その実験をニューメキシコで行い、アメリカ国民を被ばくさせていたのです。
決して、第二次世界大戦を早く終わらすためではなく、核兵器の威力を知らせるためであったのです。これは、議論する内容ではなく、事実である。アーサー・ビナードさんは強調されました。
そして、自分には、「Atomic Bomb」原子爆弾という言葉を使う資格はないとも。
Atomic Bomb 原子爆弾の英語ですが、そのものの威力や残虐さを表す言葉にはなっていない、権力者が売り込むために包み込んで使った言葉でかっこよささえ感じさせる、と。
自然な社会を壊して、不自然で高度で難しい社会にしている、人々は騙されている、と。
原子炉の中で、プルトニウムがつくられるわけですから、原子力発電所には原子爆弾につながる危険性が大きいわけです。
増殖炉もんじゅは、廃炉することに決まりましたが、高速増殖炉に関しては、「やめる」とは言っていないのです。
入れるプルトニウムよりつくられるプルトニウムの方が多い…それが高速増殖炉です。
原子力発電所の本来ある危険性がアーサー・ビナードさんによって暴かれましたね。
文部省➡文部科学省になりました。結局廃炉にもできない状況のもんじゅに多額な資金をつぎ込み、新たな高速増殖炉へのためにも費用を獲得し、そんな費用が必要だから文部省を飲み込み文部科学省になった、とアーサー・ビナードさんは述べられました。
翌日の毎日新聞夕刊で、大きく取り上げられていましたが、アーサー・ビナードさんは、画家の丸木位里、俊夫妻による連作「原爆の図」にであい、原爆の図をもとに独自の物語をつむいだ紙芝居「ちっちゃい こえ」を7年かけて完成しました。
その紙芝居「ちっちゃい こえ」と「知らなかった、ぼくらの戦争」を購入しサインをいただきました。
日本語がペラペラな(❓)Arthur Binardさん、ユーモアもあり、
前のめりになってお話を聴いてしまいました。
核開発と原発は同じ流れです。だからこそ「さよなら原発、さよなら戦争」という集会にしました、と主催者の挨拶がありました。
その通りですね。
新聞の見出しは「原発列島 僕らは当事者」
記事は「今を生きる私たちは、傍観者ではなく当事者なのだ」で終わりました。同感です。