別海町訪問2日目(8月1日)
エアコンがないお部屋でしたが、ぐっすりと眠ることができ、
朝は、窓を開けると冷たい透明感のある空気に触れることができました。
議会事務局の方の案内で、
別海町郷土資料館と加賀家文書館を、学芸員に説明を受けながら見学しました。
郷土資料館は、別海の自然・先史、そして開拓の歴史を8つのテーマにまとめ、資料で綴ったモニュメントです、とリーフレットに書かれているとおり、手作りのジオラマなど「人々が残した大切な心を伝えたい」という思いが伝わってきます。
野付半島で沖で発見されたマンモスゾウ臼歯化石
加賀家文書館は、
江戸末期に別海町の野付半島などで活躍した加賀家一族が残した「加賀家文書」と呼ばれる古文書資料など寄託され、展示されています。
古くから人々の暮らしがあった野付半島の史跡や、加賀家文書のほとんどを残した三代目伝蔵の一生と業績の紹介。
蝦夷地で使用した品々やアイヌ民族資料を展示しています。
郷土の歴史をしっかりと学ぶことができる場所は、やはり必要だと思います。
その後は、新酪農展望塔を訪れ、
牛のための牧草を育てている緑一杯の景色を360度堪能しました。
もう少し晴れていたら、青々とした空と素敵だろうと…夜は満天の星空が見れるよね…と心残りでしたね。
私は別海町の牛になっています。
カメラ機能の何かがおかしくなって、コントラストが悪いです。
次は、菊と緑の会関係者との会食懇談会
やっと会えます。枚方市から別海町に結婚移住された方たち。
4人の女性が来られました。4人の内3人が枚方市出身、一人は大阪市内の方だそうです。
「菊と緑の会」発足のきっかけをつくられたのは、神部久美子さん。1974年(昭和46年)6月に結婚されました。里帰りの際に、市長を表敬訪問し、豊かな自然に囲まれて家族が一緒に働く酪農の楽しさと、都会では考えられなかった生きがいを話し、酪農経営者のパートナー不足の実情を語り、その対策の協力をお願いしたことが発端となったそうです。
お話を直接させていただいたのは、もう一人Tさん1995年(平成7年)でしたが、なんと枚方第4中卒業生でした。大塚議員と私と彼女で同窓生3人!香里団地に住んでおられたということで、枚方と別海町での生活の話などとても盛り上がりました。Tさんと同じく1995年に結婚された方は、枚方市津田出身だそうです。もう一方は、1990年結婚されました。
別海町酪農家と結婚することを決めたのは?
別海町に流れるゆっくりとした時間と豊かな自然に魅了されたのはもちろんのこと、酪農家は365日休みがないという大変さ、冬の別海町もあり、それでもやっぱり縁なのかな、と思った次第です。
1984年「菊と緑の会」を発足させ、関西の女性と別海町の酪農青年との交流を図るイベントが実施されました。これまでに622人の女性が参加し、91組のカップルが成立しています。
毎年10月中頃に酪農体験・交流が行われ、関西の女性が別海町を訪れます。
100組目の誕生の時には、記念のイベントをしたいですね、と町長・議長もおっしゃっていました。
北海道新聞記者も同席され、翌日に掲載されていました。
とにかく神部さんは、バイタリティのある方で、現在は、農家は閉められ、野付半島でガイドをされています。リクエストで大阪弁のガイドをされたり、とっても元気に人生を楽しんでおられる様子を、ワクワクしながら聴かせていただきました。
短い時間ではありましたが、貴重なお話を聴くことができ、充実した時間となりました。
お世話になった事務局の方をはじめ皆さんに感謝です。
私たち連合市民の会は、この後は、プライベートの時間とし、別海町を後にしました。






















